第415話~トヨは菟道稚郎子
豊受姫は伊勢神宮外宮で豊受大神として知られています。古事記では豊宇気毘売神と表記されています。別名は、豊受気媛神、登由宇気神、豊岡姫、止与宇可乃売神、大物忌、等々。
豊岡姫は、但馬で第358話: 鶴と亀がすーべった:籠神社で書いたように、籠神社 (この)神社の奥に、パワースポットとして有名な眞名井神社があります。眞名井原には豊受大神(とようけのおおかみ)をお祀りする匏宮(よさのみや)があります。天照大神は、豊受大神と共に吉佐宮(よさのみや)で4年間暮らしたとされています。
止与宇可乃売神はオトヨ(乎止与命)と思われます。だとするとトヨ=とよ(乎止与命・台与・臺與)=豊受大神です。なお、桂川光和氏が天豊姫を台与とする説を唱えているそうです。(詳細不明)台与 - Wikipedia
天豊姫(あめのとよひめ)は、古代日本の人物で、特に邪馬台国の女王卑弥呼の後継者として知られる台与(とよ)と同一視されることがあります。天豊姫は、尾張氏や海部氏の祖先とされ、建諸隅命の娘とされています。天豊姫の名前は「豊(とよ)」であり、『魏志倭人伝』に記される台与と通じるものがあります。彼女は、卑弥呼の宗女として13歳で女王となり、倭国を安定させたとされています。
伊勢神宮外宮の社伝(止由気宮儀式帳)では、雄略天皇の夢枕に天照大神が現れ、「自分一人では食事が安らかにできないので、丹波国の比治の真奈井(ひじのまない)にいる御饌の神、等由気太神(とゆけおおかみ)を近くに呼び寄せなさい」と言われたので、外宮に祀るようになったとされています。即ち、元々は豊受は丹波の神ということになります。
海部氏の系図である勘注系図では、孝霊天皇の時代に丹波国丹波郷にて宰(宰相)として奉仕していた彦天火明命一族(海部氏)は、その後、山城国久世郡水主村に移ったとされています。山城国久世郡水主村の現在の地名は、京都府城陽市水主宮馬場です。ここは、新名神高速道路の城陽ジャンクションがある所で、交通の要所です。木津川にも近く、私が邪馬台国とする巨椋池の南端にあたります。宇治にもかなり近いというより、ウツシコオ(内色許男命)の拠点、内里=玉牆内國:うちつくにの一部で内(うち)=宇治(うじ)の一部です。
ここで思い出すのが、菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)です。豊受大神はトヨ=とよ(乎止与命・台与・臺與)ではないのでしょうか。豊受姫=菟道稚郎子
第405話で私は倭迹々日百襲姫(やまととももそ姫)をトヨとしました。
香川県の東かがわ市にある水主神社(みぬし)の社伝では、「倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)は8歳のとき今の水主の里宮内にお着きになり成人になるまでこの地に住まわれた。土地の人に弥生米をあたえて、米作り又水路を開き、雨祈で、雨を降らせ、文化の興隆をなされた御人といわれる。」とあります。
ヤマトトモモソ姫は、幼き頃より、神意を伺い、まじない、占い、知能の優れたお方といわれています。菟道稚郎子は非常に賢い子であったらしく、漢文の書物をすらすらと読みこなせたそうです。豊受姫=菟道稚郎子=ヤマトトモモソ
豊受姫(豊受大神)の受「ウケ」は食物のことで、食物・穀物を司る女神です。後に、他の食物神の大気都比売神(おほげつひめ)・保食神(うけもち)などと同様に、稲荷神(宇迦之御魂神)(うかのみたま)と習合し、同一視されるようになりました。
第129話:菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)では私は菟道稚郎子は御牧入彦としました。御牧入彦は崇神天皇です。豊受姫は崇神天皇だと思います。茨田堤と堀江を掘削したのは崇神天皇の業績です。参照:ヤマタノオロチは淀川~茨田堤2
8歳にして米作り又水路を開き、雨祈で、雨を降らせ、文化の興隆をなされた御人=ヤマトトモモソ姫=豊受姫は13にして、卑弥呼、ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)の後を継ぎ、ヤマト(邪馬台国)の大王となったのです。
これが魏志倭人伝のいうところの”とよ(乎止与命・台与・臺與)”です。
藤原不比等・記紀の作者は、日本の天皇家が「男系天皇」を継続してきたとしたいことから、「天皇家は万世一系」とするためにトヨ=豊受姫が13歳の少女ではまずかったのです。
伊勢神道(度会神道)では、豊受大神は天之御中主神・国常立神と同神であって、この世に最初に現れた始源神であり、豊受大神を祀る外宮は内宮よりも立場が上であるとしています。天之御中主神・国常立神はウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)です。
この世に最初に現れた始源神とは、実在した可能性のある最初の天皇である崇神天皇
の別の名は「はつくにしらすすめらみこと」です。豊受大神=トヨこそが「はつくにしらすすめらみこと」です。豊受姫=ヤマトトモモソ=菟道稚郎子=崇神天皇
魏志倭人伝では、邪馬台国の大王は台与としているのに、記紀ではそれらしき人物は見当たりません。邪馬台国の時代と符合する大王と言えば崇神天皇しかいません。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
※これまでの記事はこちらです。
<目次>
高槻市では安満遺跡や大蔵司遺跡・芥川遺跡等で弥生時代から引き続き集落が営まれている。また、 吹田市域では古墳時代後期に千里丘陵東南部に大規模な須恵器窯が多数築かれる。 古代 古代に入ると、それまで三嶋 (『日本書紀』雄略 9 年条 ) と呼んでいた高槻・茨木地域は主に高 槻市側を嶋上郡、茨木市側を嶋下郡 ( 初見は和銅4(711) 年 ) と呼ばれるようになる。嶋下郡は、新野・ 宿人 ( 久 )・安威・穂積の4郷からなり、嶋下郡衙は旧山陽道 ( 西国街道 ) 沿いの郡付近にあったと推 定されている。今回調査した郡遺跡は、古代にはそのほとんどが新野郷に属し、一部が穂積郷に属して いたものと思われる。また嶋上郡衙は、昭和 45 年に富田台地上の芥川右岸沿いの高槻市郡家において、 奈良時代の掘立柱建物跡群や「上郡」と墨書された土師器が出土したことなどから、当地にあったもの とされる。 奈良時代以前には古代山陽道が成立していたと考えられるが、嶋上郡の郡家川西遺跡では古代山陽道 の一部と考えられる石敷遺構が検出されている。嶋下郡の中河原北遺跡でも古代山陽道の一部と考えら れる石敷遺構が検出されている
<これまでウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)であることが判明した人物>
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