第147話~五十鈴姫は乙姫(オトヒメ)
魏志倭人伝では、卑弥呼が死んだあと台与/臺與(とよ)または壱与/壹與を卑弥呼の後継の男王の次に、13歳で女王になり倭をまとめたとされています。
私は、トヨ(台与/臺與)は五十鈴姫だと思っています。五十鈴は地名で大阪府茨木市です。〒567-0842。茨木の隣は、豊中市です。トヨの由来は豊中ではないかと思い豊中市の神社を探してみました。豊中もウツシコオやイカガシコオなどの穂積氏の縄張りです。
市軸稲荷神社(ちじくいなりじんじゃ)という神社が気になりました。創建は大正時代なのですが、昔から、現在の刀根山高校の松林の辺りに小さな祠があり市軸大神が祀られていました。この神社は、お多福のくぐり門が設置される節分の時期には多数の参拝者で賑わうことで知られています。
一般的にお多福さんといえば、日本神話に登場する女神「天宇受賣命(アメノウズメノミコト)」とされていますが、市軸稲荷神社でのおたふくさんは瀬織津比咩大神(セオリツヒメノオオカミ)とのこと。
五十鈴姫は二人いたそうです。記紀には、事代主神の大女(えむすめ)こと媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめ: 伊須気余理比売:イスケヨリ姫)を皇后としたとあります。また、事代主神の少女(おとむすめ)五十鈴依媛命(イスズヨリ姫)を第二代 綏靖天皇の皇后にむかえたかいてあります。つまりイスケヨリ姫とイスズヨリ姫は別人で姉妹だということです。
お多福は、おかめは、文楽人形ではお福(おふく)、狂言面は乙御前(おとごぜ)あるいは乙(おと)ともいいます。事代主神の少女(おとむすめ)五十鈴依媛命(イスズヨリ姫)はオトヒメ(乙姫)、ホト姫とも呼ばれています。
古事記では、五十鈴姫は、富登多多良伊須須岐比売(ホト・タタライススキヒメ、ホト・タタライススギヒメ)という名でしたが、のちに比売多多良伊須気余理比売(ヒメ・タタライスケヨリヒメ)に改められたことが示されています。ホトとは女性の陰部のことだからです。お多福が天のウズメとされているのは、ウズメがホトを露わにして踊ったからです。
素顔を原則とする狂言では、仮面を使用するのは老人、醜女、神・仏、鬼、動植物の類で「乙」(乙御前)は醜女に当たります。今では、女性のことを「おたふく」と呼べばセクハラになりかねませんが、日本語の世界に「お多福」の一語があって、日本的女性美の極致を表現していることをおわかりいただかねばなりません。「お多福」さんは、女性の美しさのみならず、女性の徳分をも表している言葉です。
<関連項目>
※これまでの記事はこちらです。
※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。
市軸稲荷神社 大阪府豊中市刀根山2丁目2番33号
水神や祓神、瀧神、川神である。九州以南では海の神ともされる。祓戸四神の一柱で祓い浄めの女神。「人の穢れを早川の瀬で浄める」とあり、これは治水神としての特性である[1]。
『倭姫命世記』『天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記』『伊勢二所皇太神宮御鎮座伝記』『中臣祓訓解』においては、伊勢神宮内宮別宮荒祭宮の祭神の別名が「瀬織津姫」であると記述される。なお、荒祭宮は、かつては正宮に位置していたと推定される。皇大神宮の別宮の瀧原宮についての伊勢神宮公式の由緒書きに、「その御魂をこのように二宮に並べてお祭りするのは、皇大神宮に天照大神を、同別宮に天照大神の荒御魂を奉祀する姿の古い形と言われています。」 と記されている。このとおりであれば、正宮は、式年遷宮のたびに位置を替えるのではなく、常に東に位置する正宮は天照大神、西に位置する正宮は瀬織津姫を祀っていたこととなる。
饒速日命(にぎはやひのみこと)との関連もあると言われる。また、瀬織津姫は天照大神と関係があり、天照大神の荒御魂(撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめ))とされることもある。「西宮」の地名由来の大社である廣田神社(兵庫県西宮市)は、天照大神荒御魂を主祭神としているが、戦前の由緒書きには、瀬織津姫を主祭神とすることが明確に記されていた。御神体の神鏡は、元は宮中の賢所に祀られていたのだが、武内宿禰・神功皇后の御代に 廣田神社へ遷した ことが、廣田神社由緒書きに記されている。この時期に神社祭祀に大きな変更が加えられた可能性がある。天照大神との関わりは、謎が多い。
その他では宇治の橋姫神社では橋姫と習合(同一視)されている。 祇園祭鈴鹿山の御神体は鈴鹿権現として、能面をつけ、金の烏帽子をかぶり長刀と中啓を持つ瀬織津姫を祀る。伊勢の鈴鹿山で人々を苦しめる悪鬼を退治した鈴鹿権現の説話に基づく。
熊野神社を遡り調べると熊野権現は瀬織津姫なりという説がある。大和政権がエミシ征伐の際、熊野権現を守り神とし北へ向かった。制圧した後、気仙沼市唐桑町に瀬織津姫神社、熊野神社などが鎮座した。東日本大震災の津波により流されたが、現在は再建されている。
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<五十鈴姫=媛蹈鞴五十鈴媛=富登多多良伊須須岐比売命(ホトタタライスズキヒメ>
ミマキ姫は、五十鈴姫~茨木市五十鈴
とよ(五十鈴姫)~桜井、豊中