第268話
より引用させていただきます。「出雲王国とヤマト政権」と「出雲と蘇我王国」
北九州から中国、四国、近畿、北陸地方を武力ではなく言葉による説得とサイノカミ(幸の神)信仰による祭祀によって平和的に緩やかに統治していた出雲王国がありましたとさ。
サイノカミ(幸の神)とはなにかというと、「紀伊国美奈倍道祖神」の説話が記されており、「サイノカミ」と読ませています。平安時代の和名抄にも「道祖」という言葉が出てきており、そこでは「さへのかみ(塞の神)」とあり、外部からの侵入者を防ぐ神であると考えられています。
岐の神と同神とされる猿田彦と習合したり、猿田彦神といわれる天宇受売命と男女一対の形で習合したりもしています。集落から村外へ出ていく人の安全を願ったり、悪疫の進入を防ぎ、村人を守る神として信仰されてきました。木偶人形(デクノボー)も塞の神とされています。
このプログでは何度も書いているように、研究者たちのいう出雲王国・出雲族というのが呉の勝です。当時の出雲には王国などありません。
サイノカミ信仰では、始祖クナト王をクナトノ大神とし、母神をサイヒメ(幸姫)ノ命、子神は、サルタ彦大神とされた。出雲王国は、サイノカミ三神でつながる宗教共同体であった。とのことですが、とすると母神のサイヒメ(幸姫)は𧏛貝比売(きさかひひめ)ということになります。道祖神は猿田彦とされるのも一理あります。猿田彦=ウツシコオは紀伊国(和歌山)の出身ですからサイノカミ(幸の神)も和歌山発なのも頷けます。
「出雲王国とヤマト政権」と「出雲と蘇我王国」によりますと、大国主命と事代主命が、両者ともアメノホヒ勢力に拉致されるという大事件が勃発した。大国主命は、猪目洞窟(出雲市猪目、事代主命は、弓ヶ浜の粟島(米子市彦名町)に幽閉され枯死した。事代主命の妃の沼川姫は、王子の武御名方命と共に越の国に帰りは、諏訪地方に勢力をはり、第2の出雲王国といえる繁栄のもとをつくった。伝承によれば事代主命と武御名方命は、記紀に記載されている兄弟ではなく親子であった。とあります。
国譲りの後、大国主命(=大彦)と事代主命(=アヂスキタカヒコ:阿遅須枳高日子)、それに天下を取った筈の建御雷(タケミカヅチ)の消息が不明になってしまっています。アメノホヒ勢力に拉致されたというのは検証に値します。ミマキイリヒコ(崇神天皇)の陰謀であるかもしれません。
※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。
※これまでの記事はこちらです。
邪馬台国 家系図
道祖神
安孫子神社は、滋賀県愛知郡愛荘町安孫子にある神社です。開化天皇の皇子彦座王の孫白髪王の末裔がこの地に移住して祀った神社と伝えられています。祭神は天稚彦命です。琵琶湖東岸の豪族、安孫子氏から庇護されていました。
それから、ここから数キロほど離れた所に天稚彦神社があります。天稚彦命が、神々と共にこのあたりに立ち寄った際、風光明媚なこの地を大変称賛しました。そのため、妃の下姫照命が、天稚彦命の遺体をここに葬ったのがこの神社の始まりとされています。複数の神が祀られている神社で、主として祀られているのは天稚彦命です。それ以外に祀られである神は、大国主命、事代主命、下照姫命、大山昨命、加具土命、大物主命、菅原道真命です。 この二つの神社はどう関連しているのでしょうね。
安孫子神社
読み方:アビコジンジャ(abikojinja)
教団 神社本庁
所在 滋賀県愛知郡秦荘町
祭神 天稚彦命
<大彦>
天香語山命~大彦も五伴緒のメンバー
大彦
大彦は、高倉下~新潟県西蒲原郡弥彦村
大彦の北陸道遠征
大彦~メスリ山古墳: 桜井市
大彦は、綏靖天皇~タケハニヤスの乱4
大国主は、大彦 ~出雲は三島
<卑弥呼>
卑弥呼は名草トベ~和歌山市
卑弥呼は萬幡豊秋津師比売
卑弥呼はイカガシコメ??
<ウツシコオ(内色許男命)=大綜麻杵(オオヘソキ)>
ウツシコオは難升米ではなかった?
八咫烏の真実~ウツシコオ陰謀の始まり
ウツシコオは魏志倭人伝に登場する難升米
<饒速日>
饒速日は大阪府茨木市出身
星の降る町~速玉は饒速日
伊都国 一大率は五十猛(饒速日)
孝元天皇は五十猛!~椿井大塚山古墳
五十猛の九州征圧
神功皇后と五十猛
饒速日が死んだ!~ウツシコオの陰謀
孝元天皇と家族たち
饒速日はスサノオの子
<五十鈴姫=媛蹈鞴五十鈴媛=富登多多良伊須須岐比売命(ホトタタライスズキヒメ>
ミマキ姫は、五十鈴姫~茨木市五十鈴
とよ(五十鈴姫)~桜井、豊中
お多福さんと五十鈴姫
金屋子神は五十鈴姫