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サナギ(銅鐸)はイザナギ!

更新日:6月22日

第355話


銅鐸は、サナギと呼ばれていたそうです。


大正・昭和期の著名な詩人であり、思想家であり、歴史民俗学者であった福士幸次郎は、古代日本の鉄文化の源流を求めて国内各地を踏査し、鉄文化の研究を通して、ヤマト民族の源流を跡付け、日本古代史を独創的な学問体系に位置づけました。日本民族は、「世界に於いて鉄を最も古くから使用した民族の裔」であるとされておられます。


銅鐸は鐸(サナギ)と思われ、かつて日本にサナギ(銅鐸)を祭る信仰が存在し、日本民族の祖先は、南方系の海洋民族で鉄の技術を持っていた阿曇(アツミ)族であると、独創的な発想をされておられます。参照:海人族~ワタツミ

しかし、生涯在野の詩人であり研究者であった福士幸次郎の唯一の著作「原日本考」』とその独特な発想に基づく研究は、黙殺され続けてきました。


元々銅鐸の意味は、葦原の根の部分に生成される褐鉄鉱の集合体である高師小僧の生育を願って始められた祭祀とする説があります。高師小僧~大阪府高石市

高師小僧の褐鉄鉱を使った製鉄が、砂鉄を使ったタタラ製鉄に切り替わって行くとともに、

銅鐸の重要性は薄まり、「聞く銅鐸」から「見る銅鐸」に変化していったのです。


初期の「聞く銅鐸」の中でも最古の形式である「Ⅰ式 菱環鈕式(りょうかんちゅうしき)」の銅鐸は、淡路島で出土しています。菱環鈕(りょうかんちゅう)式銅鐸は、横方向に帯を巻いたような横帯(おうたい)文があることから横帯文銅鐸とも呼ばれます。弥生時代の古式銅鐸ばかりが発見される淡路島の銅鐸を象徴しています。



銅鐸や鉄鉱採取の製鉄文化を担った神を、サナギの神とし、その名に接頭語である「イ」を付け、イザナギ神になったと指摘されています。


阿波に佐那河内村があったり、阿波の隣が讃岐国と呼ばれるように、佐那、佐那伎(草薙?)、佐那具、佐波、散去、散岐、讃岐、佐鳴、猿投などの、サナ・サヌの付く地名は、銅鐸と関わりのある地名だと考えられます。


イザナミ(伊弉冉)は、イザナギの対比するために創作された神でしょう。




※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

※これまでの記事はこちらです。


<目次>



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