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七夕幻想~機物神社

更新日:6月22日

第356話


七夕と書いてタナバタと読みます。本来は棚機と書くべきです。七夕は「しちせき」と読みます。五節句のひとつで、7月7日に行う織姫と彦星を祭る行事のことのです。


機物神社(はたものじんじゃ)は、大阪府交野市倉治にある神社です。七夕に関する伝説で知られる神社です。祭神は天棚機比売大神(あめたなばたひめ)です。別名は栲機千々比売神です。すなわち私が卑弥呼とする人物です。参照:第72話:卑弥呼は萬幡豊秋津師比売命!!


天棚機比売大神の天(アメ、アマ)は交野市私市のことです。

この地方は地味肥え作物豊かな野であったので「甘野」といわれ、後に天野(あまの)となりました。古事記・日本書紀に出てくるアマ・アメはこの交野市私市(天野)が起源です。


機物神社の呼称及び七夕伝説との結び付きについては、古代、枚方市「津田」を「秦田(はただ)」、交野市の「寺」を「秦山(はたやま)」、「倉治(くらじ)」を「秦者(はたもの)」といっていた時代がありました。津田はスサノオの本拠地です。参照:スサノオは津田の王  倉治は高倉下(大彦)です。参照:大彦は、高倉下~新潟県西蒲原郡弥彦村

神社の名称はこの「秦者」の人たちが祀る社ということで、「ハタモノの社」が本来の呼び名であったという説も有ります。


第82話:高津姫 ~岩船街道第110話:星の降る町~速玉は饒速日で書いたように、この地は饒速日との関連が深い場所で、片野物部(交野)の本拠地です。天棚機比売大神(あめたなばたひめ)は卑弥呼(ウツシコメ)と思って間違いないでしょう。


また、この地域は、現在でも星田と呼ばれる地区です。古代には天体観測でもしていたのでしょう。そういえばウツシコオ(内色許男命)の別名は月読(ツクヨミ)でした。月読命(ツクヨミ)~京都市西京区桂


アルタイル(彦星)、ベガ(織姫星)と、はくちょう座のデネブの三つの星を結んだ三角形は、「夏の大三角」または「夏の大三角形」と呼ばれ、アルタイル(彦星)と両脇の合計3つの星は、一直線に並ぶ三ツ星(ミツボシ)として特に親しまれ、中国ではこれを「河鼓(かこ)三星」と呼びます。


古代の日本では彦星(ひこぼし)を犬飼星:以奴加比保之(いぬかいぼし)と呼んでいました。彦星(比古保之)はウツシコオ(内色許男命)の幼名:ヒコサチ(ヒコユキ)ではないでしょうか。参照:ヒコサチ:忌部氏(彦幸)~和歌山・名草

彦星は牽牛ですが、ウツシコオはツヌガアラシヒトでした。京都の八坂神社では牛頭天王でした。牛頭天王(スサノオ)はアメノヒボコ?


牽牛はヨセフ(ヤコブ:イスラエルの息子)で、織姫はアセナテ(ヨセフの妻)という珍説・奇説があります。元々、エジプトの宰相として、エジプトを飢饉から救った英雄であるヨセフは、後に、「アメン神(Amen)」として、神格化されます。アメン神は、、牡牛が象徴化されています。このアメン神が、最初の牽牛の発祥という説です。


交野山と太陽の位置関係で、冬至の日に、機物神社の境内から交野山に重ね合わされた日の出が見られます。このために、この場所は特別に神聖視された祭祀の場所となったようです。冬至前後の数日間は交野山山頂に日輪が光り輝く直前に交野山の裏側に白道(しろみち)(白い光の帯)が奔り、朝日山を鮮やかに浮き立たせる現象を一瞬見ることができます。祀ができる以前は交野山(岩屋)そのものが、機物神社の御神体であり誠に広大な地域を有していました。


長岡京は交野山の真北に配置されています。因に現在の境内にある鳥居の内のひとつは交野山と伊勢神宮の両者に向かって参拝できるように設計されています。



※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

※これまでの記事はこちらです。


<目次>



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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
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