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tootake

中臣氏~中臣烏賊津

更新日:3月20日

第263話


呉勝(くれ の すぐり)についてはこのプログで何度も書いて来ました。

「呉」を氏の名とする渡来系の一族です。「昔・呉勝・韓国より渡り来たり、はじめ紀ノ國(和歌山)から、三島に遷り来る。」とあり、三島が邪馬台国であるとする私の説を支える重要な一族です。


そして、呉勝とは別に呉公(くれ の きみ)という氏族があります。

この氏族について撰姓氏録「天相命十三世孫・雷大臣命の後なり」と収録されています。雷大臣命(いかつおみ)は伊賀津臣命(なかとみのいかつおみ)のことで、この呉氏は中臣氏の一族でとされています。


伊賀津臣命(いかつおみこと)は、近江国風土記に掲載された余呉湖の羽衣伝説おいて、近江国伊香郡与胡郷西方の山の住人である伊香刀美として登場しまする。余呉湖の羽衣伝説で思い出されるのがウツシコオは難升米ではなかった??  で登場した梨迹臣命(なしとみのみこと)です


梨迹臣命(なしとみのみこと)は、古代日本の豪族で中臣連の祖。梨富命、那志登美、梨津臣命(なしつおみのみこと)とも表記します。記紀に登場せず特に事績も知られていませんが、近江国風土記に掲載された余呉湖の羽衣伝説おいて、近江国伊香郡与胡郷の人である伊香刀美が、天女との間に生んだ二男二女の次男として登場しています。近江国式内社の乃彌神社の祭神とされ、合祀した乎彌神社において兄弟の臣知人命と共に祀られている。その他に意富布良神社にも配祀されてますので実在の人物と考えられます。


近江国風土記よると、天之八女が白鳥と共に与胡郷南方の伊香小江に天降って水浴びをする様子を伊香刀美が眺めており、一目惚れした伊香刀美が白犬を遣わして秘かに天衣を盗んだとされる。この天衣の持ち主は末妹であり、これによって天に昇れなくなったため、土地の人間となった天女を伊香刀美が妻として迎え入れ、男女四人の子供を儲けた。長子を意美志留、次子を那志等美、長女を伊是理比咩、次女を奈是理比売といい、これが伊香連(イカのムラジ)の祖とされています。


中臣氏には、中臣烏賊津(なかとみ の いかつ)、雷大臣命(いかつおみのみ)そして中臣烏賊津使主(なかとみ の いかつ の おみ)なる人物がいます。

中臣烏賊津は仲哀天皇、神功皇后時代の人物で、中臣烏賊津使主は允恭天皇の朝廷にも舎人です。


新撰姓氏録の系譜では、天児屋命からの世代数にはそれぞれ若干の異同があり、烏賊津に該当する人物は、「伊賀津」と「雷大臣命」の2名ですが、雷大臣は世代数や系図からも崇神天皇の二世代前の人物である伊香津臣命(伊香迹臣命)であるされています。


「中臣」とは「中つ臣」の略で、神と人との仲介をするという意味です。

中臣烏賊(イカ)津は仲哀天皇、神功皇后時代の人物ですのイカからの連想から創作された人物だと思います。雷大臣命(いかつおみのみ)も同名異人であるとも、伝承の混乱であるとも言われています。


近江の与胡(よご)の国伊香(いかご)の郡(こほり)がありイカは伊香です。

梨迹臣命(なしとみのみこと)は景初二年(景初三年、239年とされる)の遣使、難升米(なしょめ)である可能性が高く、実在した人物だと思います。梨迹臣命が呉公(くれ の きみ)氏族が一族であれば、韓国より渡り来たったとされていますので、魏の国の言葉も自在に話せたはずで、難升米である可能性がさらに高くなりました。



※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

 今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。 

※これまでの記事はこちらです。





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2 Comments

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
Mar 20
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対馬には雷大臣命に関する伝承がいくつか存在する[8]。

" 厳原町豆酘の雷神社は新羅征討からの帰還後に雷大臣命が邸宅を構えた場所であり、雷大臣命はそこで朝鮮からの入貢を掌り、祝官として祭祀の礼や亀卜の術を伝えたという。

" 厳原町阿連の雷命神社の社家である橘家は雷大臣命の末裔である。

" 美津島町加志の太祝詞神社には雷大臣命の墓がある。

" 上対馬町大増の霹靂神社は雷大臣命が新羅から帰還したときに上陸した地(浜久須)である。

" 上対馬町芦見の能理刀神社は雷大臣命が亀卜を行った場所である。


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