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丹生都比売神社

更新日:5月2日

第300話~神武東征


丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ、丹生都比賣神社)は、和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野にある神社です。紀伊国一宮とされています。


1)丹生都比売神社社史によると、丹生氏の故地は九州の伊都とされています。紀ノ國(和歌山)に移住し、和歌山にも伊都郡の地名が付けられました。丹生氏は、淡路をへて紀ノ國にはいり、紀ノ川城上流を拠点に奈良県の吉野・宇陀に勢力を広げました。

紀ノ川の下流域では、名草比古命を婿養子に迎えて、地域を支配していた五十猛の一族とも連帯します。参照:伊都国 一大率は五十猛


2)そして私がいつも参考させてもらっている上垣内憲一先生の「謎の四世紀」p161によると淡路島の垣内集落の鉄鍛冶集団は、近くの仁井で産出する水銀朱を交易財として、朝鮮半島の鉄素材を入手していた。さらに、出来上がった鉄器類は、摂津、和泉、紀伊などに販売されていた。紀伊方面の鉄器購入者は、紀ノ川流域に産する水銀朱をもって、垣内の鍛冶公房の鉄器との交易財にあてていた。それが神武集団と紀ノ川流域の丹生都比売部族の交渉の始まりだったとあります。


1).2)の文を比較すると、丹生氏=垣内集落の鉄鍛冶集団=神武集団ということになります。名草比古命は名草姫(ウツシコメ=卑弥呼)とヒコサチウツシコオの幼名)の父親と私が思っている人物です。五十猛はウガヤフキアエズの長男です。

ウガヤフキアエズは玉依姫との間に彦五瀬命、稲飯命、三毛入野命、彦火火出見尊(神武天皇)をもうけたとされています。一方でスサノオ(素戔嗚尊)は8人の子供(八島篠見神、五十猛神、大屋比売神、抓津比売神、大年神、宇迦之御魂神、大屋毘古神、須勢理毘売命)

の父親とされています。彦五瀬命=五十猛です。


神武天皇は皇子の手研耳命(たぎしみみ)とともに軍を率いて熊野の「荒坂の津」に着いたと日本書紀にあります。荒坂は奈良県の五條市あたりで、紀ノ川、吉野から奈良盆地に入る要衝です。日本書紀では、熊野の荒坂の津で神武軍は丹敷戸畔(にしきとべ)を殺したとことになっています。参照:丹敷戸畔


ここからは、妄想ですが、手研耳命(たぎしみみ)は五十猛ではないでしょうか、丹敷戸畔(にしきとべ)を殺したということは、名草比古命の一族(ウガヤフキアエズの一族)の五十猛と丹敷戸畔と政略結婚したということなのです。


ところで丹生都比売が誰かというと、卑弥呼と言いたいのですが、とすると五十猛が卑弥呼と結婚したことになってしまいます。ただし、卑弥呼には妹がいたようです。大ヒルメ(卑弥呼)の妹の若ヒルメです。丹生都比賣大神(にうつひめ)の別名が稚日女尊(わかひるめ)であり、天照大神の妹神であるとしています。蛭子(ひるこ)もウツシコオ 卑弥呼は名草トベ


そしてこの話は第138話:木花之佐久夜毘賣(この花咲くや姫) に繋がっています。


丹生都比売神社の祭神4柱で四所明神といわれています。

第一殿:丹生都比売大神(にうつひめのおおかみ)

第二殿:高野御子大神(たかのみこのおおかみ)。高野山開創と関係する神。

第三殿:大食津比売大神(おおげつひめのおおかみ)

第四殿:市杵島比売大神(いちきしまひめのおおかみ)


第二殿:高野御子大神は高野山の弘法大師とも関係があります。私はウツシコオの妻は高屋阿波良姫(アハラ姫)と思っています。参照:高屋阿波良姫~高野山


第四殿:市杵島比売大神(いちきしまひめのおおかみ)の父親は三島の大山祇です。


1)2)ともに淡路島を出発点にしています。伊弉諾、伊弉冉が作った国の最初は淡路島(オノコロ)といわれる所以でしょう。五斗長垣内遺跡は、兵庫県淡路市黒谷にある弥生時代の遺跡。国の史跡に指定されています。弥生時代後期における日本列島最大規模の鉄器生産集落です。参照:淡路島と伊弉諾(いざなぎ)


次回に続きます。



※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

 今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。 

※これまでの記事はこちらです。




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