第308話
八幡宮(はちまん)、八幡神社(やわた)は稲荷神社と並んで日本に数多く存在します。
その八幡神社の総本社は、大分県の宇佐神宮とされています。しかし、本当の八幡宮の大元は鹿児島八幡宮(大隅正八幡宮)であってそこから宇佐に勧進されたとする伝承があります。
鹿児島八幡宮に伝わる八幡御因位縁起には、大比留女(オオヒルメ)の伝説が書かれています。
震旦国(中国)の陳大王の娘である大比留女は、七歳のとき夢で朝日の光が胸に当たり、懐妊したとされています。
王たちはこれを怪しみ、母子を空船に乗せて海に流しました。
空船は九州の大隅に流れ着き、大比留女は筑前若椙山に入り、香椎の聖母大菩薩と呼ばれるようになりました。
八幡御因位縁起(大隅正八幡縁起)の原本は存在しません。しかし、いくつかの写しがあり、それぞれ異同や誤記、微妙な食い違いはありますが、「震旦国陳大王の娘である大比留女が八幡皇子を生み舟で大隅に渡来した。」という点は共通しています。
藤原不比等や記紀の作者たちは、八幡御因位縁起の内容のままではまずいと考えたのです。
魏志倭人伝に書かれた卑弥呼の存在も知っていたはずです。天皇家のルーツである卑弥呼が大陸(中国)から来たのでは恰好がつかないのです。
前号でも述べたように、これから律令国家として、内外に権威を示したい不比等(藤原)は、卑弥呼は日本人であることをするために、卑弥呼らしき神功皇后を創作しました。そしてその子の応神天皇を正当な天皇家の継承者としました。応神天皇は架空の天皇~邪馬台国異聞6
大和国家は、応神天皇が実在の人物であることを示すために宇佐に八幡宮と作りました。ところが大隅の方が隼人とゆかりがあります。この隼人は他の地域から移住させられ隼人と名乗らされた人々です。7世紀から8世紀にかけて、朝廷は、他地域から南九州への集団移住を行ったという記録があります。8世紀初め、現在の鹿児島県一帯への移住民は当地の総人口の7分の1に相当する9千人前後と推定されています。参照:第306話:阿多隼人(薩摩隼人)
大隅の方に隼人の墓があるので鹿児島にも八幡宮を建てました。しかし本来は大隅は、巨椋池近くの大住だったことは記紀の作者たちは知っていたはずで、八幡市にも石清水八幡宮を作ったというわけです。参照:大隅隼人は京都府京田辺市 、邪馬台国は巨椋池
記紀は、イカガシコオの残した資料を元に、書いたものですから、ヒルメが卑弥呼であることもウツシコオがヒルコであることも知っていました。参照:古事記・日本書紀とQ資料
過去のことを書いた資料はイカガシコオが作成した資料しかなく、そこにはウガヤフキアエズの生まれた名草ことや、ウツシコオ(内色許男命)大活躍したことも書かれていました。
これらの資料も天皇家の権威を高めるためにふさわしくないと思ったのです。
この当時既に、ウツシコオ(ヒルコ)は高御産巣日神(高木神)、ウツシコメ(ヒルメ)も天照大神として祭られていました。そのため、人々が知っていた当時の常識を修正して後世に伝えるために、出雲大社を作り、宇佐八幡宮を建てたというわけです。素戔嗚は神産巣日(神皇産霊:カミムスヒ)、大彦は大国主です。カモ族を出雲族、隼人族とし、饒速日はさりげなく消し去られました。
<関連項目>
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
※これまでの記事はこちらです。
タケハニヤスのプロファイル
父は、饒速日(孝元天皇)母はアタ姫=コノハナサクヤ姫 河内青玉繋の娘の埴安媛
妻=アタ姫:吾田媛(あがたひめ)
兄弟に大彦 大彦はウツシコメ=卑弥呼の子
根拠地 出雲路(京都市) 下賀茂神社 祭神は玉依姫命、賀茂建角身命 ウツシコオ
河川の管理・運営をしていたと思われ、利権が
保津川の管理をしていたのは久我耳か タケハニヤスの部下?
※堀江 南方を避けるために掘った。
「クシ」は「奇」
紀伊忌部
地域:紀伊国名草郡御木郷・麁香郷
祖神:彦狭知命 - 忌部五部神。
職掌:材木の貢納、宮殿・社殿造営
関係地
鳴神社(和歌山県和歌山市) - 式内社(名神大)。
和歌山市井辺(いんべ)
『日本書紀』では彦狭知神と表記される。神名について、ヒコを「すぐれた男子」、サチを「鉄の矢」の意味と解する説がある[1]。
記載社名現在社格社名所在地式内社一宮近代勅祭別表
上七社太神宮神宮(伊勢神宮)三重県伊勢市大神宮石清水石清水八幡宮京都府八幡市国史官大勅祭別表賀茂賀茂別雷神社(上賀茂神社)京都府京都市北区名神大山城国官大勅祭別表賀茂御祖神社(下鴨神社)京都府京都市左京区名神大官大勅祭別表松尾松尾大社京都府京都市西京区名神大官大別表平埜平野神社京都府京都市北区名神大官大別表稲荷伏見稲荷大社京都府京都市伏見区名神大官大春日春日大社奈良県奈良市名神大官大勅祭別表
中七社大原野大原野神社京都府京都市西京区国史官中別表大神大神神社奈良県桜井市名神大大和国官大別表石上石上神宮奈良県天理市名神大官大別表大和大和神社奈良県天理市名神大官大別表廣瀬廣瀬大社奈良県北葛城郡河合町名神大官大別表龍田龍田大社奈良県生駒郡三郷町名神大官大別表住吉住吉大社大阪府大阪市住吉区名神大摂津国官大別表
下八社日吉日吉大社滋賀県大津市名神大官大別表梅宮梅宮大社京都府京都市右京区名神大官中吉田吉田神社京都府京都市左京区式外官中別表廣田廣田神社兵庫県西宮市名神大官大別表祇園八坂神社京都府京都市東山区式外官大別表北野北野天満宮京都府京都市上京区式外官中別表丹生丹生川上神社(中社)奈良県吉野郡東吉野村名神大 官大 別表丹生川上神社上社奈良県吉野郡川上村別表丹生川上神社下社奈良県吉野郡下市町別表貴布禰貴船神社京都府京都市左京区名神大官中別表
八幡宮の発祥地は、大神比義命(おおがのひぎのみこと)が創始した初代大宮司となった宇佐八幡宮であり、全国の八幡宮の総本社である。いわゆる五所別宮(筑前大分八幡宮、肥前千栗八幡宮、肥後藤崎八幡宮、薩摩新田神社、大隈正八幡宮)が分布する様に、古くは九州地方信仰圏を形成していた。[1][2]
<邪馬台国の新常識>
ウガヤフキアエズのミコト
邪馬台国の誕生
徐福伝説と「呉の勝」
日向は大阪府守口市
櫛名田比売2~八雲は守口市
ウツシコオの名前についての弁明
多氏と長脛彦
饒速日と長脛彦
<河川は古代の高速道路>
市寸島比売は厳島!~広島・三島 )
真舌媛は、宗像三女神!~三島(茨木市)
全ての道は三島に通じる。
<欠史八代の天皇の正体>
素戔嗚(スサノオ)は、孝霊天皇
丹・朱を求めた天皇たち
<大彦>
大国主は、大彦
大彦
大彦は、高倉下~新潟県西蒲原郡弥彦村
大彦の北陸道遠征
大彦~メスリ山古墳: 桜井市
大彦は、綏靖天皇~タケハニヤスの乱4
大国主は、大彦 ~出雲は三島
<卑弥呼>
卑弥呼は名草トベ~和歌山市
卑弥呼は萬幡豊秋津師比売
<ウツシコオ(内色許男命)=大綜麻杵(オオヘソキ)>
ウツシコオは難升米ではなかった?
ウツシコオは魏志倭人伝に登場する難升米
八咫烏の真実~ウツシコオ陰謀の始まり
<饒速日>
饒速日は大阪府茨木市出身
星の降る町~速玉は饒速日
伊都国 一大率は五十猛(饒速日)
孝元天皇は五十猛!~椿井大塚山古墳
五十猛の九州征圧
神功皇后と五十猛
饒速日が死んだ!~ウツシコオの陰謀
孝元天皇と家族たち
饒速日はスサノオの子
<タケハニヤスの乱>
:タケハニヤスの乱1
:タケハニヤスの乱2 ~阿太(奈良県五條市)
:タケハニヤスの乱3 ~小人国
:タケハニヤスの乱4~大彦は、綏靖天皇
:タケハニヤスの乱最終章