第55話
亀岡にある、出雲大神宮は、和銅2年(709年)に社殿が建てられたとされています。古事記・日本書紀には国譲りの神事が記載されており、丹波国は出雲・大和の両勢力の接点にあり、国譲りの所由によって祀られたと書かれています。社伝では、出雲大社の方が出雲大神宮より勧請を受けたとし、「元出雲」の通称があります。『丹波国風土記』逸文として「元明天皇和銅年中、大国主神御一柱のみを島根の杵築の地に遷す」の記述があるとのことです。境内には横穴式石室を持つ後期古墳があるほか、西南には口丹波最大の前方後円墳である千歳車塚古墳があり、古くから御蔭山を神体として祀る氏族がいたとされています。709年に社殿が建つ以前から何らかの祈る場所があったと推測できます。
島根の出雲大社は、659年(斉明天皇5年)出雲国造に命じて「神之宮」を修造させたと日本書紀書かれています。ということは仏教伝来の後で、全国の神社でも新しい方の神社です。仏教伝来のあと、ということは物部氏は既に滅びています。神社はすべて物部のものであったのが、物部亡き後は、神社は国家権力の象徴へと変化したのです。やたらと大きい神社を作ったのも、権力の強さを示すためでしょう。
この頃になって、出雲という地名がやっと定着したのではないでしょうか。出雲に出雲大社がないとおかしいからです。記紀神話の影響により神社が後付けで作られた例は各地で見受けられます。特に九州の神社は、後に検証するつもりですが、記紀に書いてあるからという理由で創建されたものがほとんどです。
出雲という地名はウマシマジが、根の国(島根)に行ってそこで亡くなったから、その地を出雲というようになったのでしょう。ウマシマジなどの饒速日一族のいた場所が出雲というわけです。(元々は出雲は地名ではなく、大和朝廷の意に沿わないものをさすと私は考えています。)
話は変わりますが、神武天皇(カム・ヤマト・イワレ彦)を祀った神社の社伝はすべて嘘っぱちです。神武は記紀によって創作された架空の人物です。
橿原神宮は明治23年の創祀ですが、昭和15年の紀元2600年奉祝式典 橿原神宮の地域の拡張・整備には多くの人が勤労奉仕しをしました。私の母も2度参加した話を何度も聞いた記憶があります。
神武天皇の功績を称えるというよりは、天皇の権威を高めるため(国家権力を示すために)と神社は変わったしまったようです。日本のいたるところに神社があるのは、そこが日本(大和朝廷)であることを示したいからです。戦争中は、北京神社、南洋神社(サイパン)、建国神廟(満州国)などの海外神社も建立されています。
近畿にある古い神社は、全てイカガシコオ(当時の物部のトップ)が建てたものです。神社は本来、滅ぼした敵(出雲)の鎮魂のためのものだった筈です。
※出雲~タケハニヤスは山代国(京都府)愛宕郡の出雲(現在は出雲路)に領地を持っており、タケハニヤスは出雲の王と呼ばれていました。タケハニヤスは反乱を起こしたことから、出雲は大和の敵という意味になったのです。
※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。
※これまでの記事はこちらです。
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