第137話~邪馬台国異聞12
タケミナカタ(ミナカタトミ、タケミナカタトミ)は、古事記等と先代旧事本紀では建御名方神、日本書紀以外の国史では南方刀美神(みなかたとみのかみ)
タケミナカタ(建御名方)は国譲りの時、に建御雷神との力比べに敗れてしまい科野(信濃)へ逃げたとされています。古事記では建御名方は、大国主神の息子の一人とされ、もう一人の息子の事代主はヤマト朝廷に降伏しました。建御名方は物部守屋~信州諏訪
しかし、日本書紀や、出雲地方の古文献である出雲国風土記や出雲国造神賀詞にはこの建御名方神が登場せず、古事記でも大国主神の子でありながらその系譜に名前がみられないため、建御名方神は国譲り神話に挿入されたという説を唱える研究者が多いのです。
建御名方が建御雷神に敗れてしまうのは、国譲りで最も重要な場面です。それが架空の人物ということは、出雲神話は、すべて創作だったのです。と以前書いたことがあります。 しかし、南方刀美神(みなかたとみのかみ)という表記をみて閃きました。この人も三島の溝杭ではなかったのか!
南方は地名です。「方:カタ」の付く地名は物資の集積場だと以前書いたことがあります。
新大阪の隣が地下鉄の西中島南方です。南方はかつて大阪湾と河内湖との海峡にある重要な拠点でした。阪急の南方駅もあります。
南方は、紀ノ國、瀬戸内海からの物資を淀川(河内湖)を経て三島・枚方へ至る重要な拠点だったのです。南方刀美神はそこを取り仕切っていた人物だったのです。
神武記にも、「南方」より廻幸するの時、血沼の海(大阪湾)に居たり、、との記述があります。日本書紀の著者はこの南方を”なんぽう”と読み地名であることを知らなかったようです。
三島の溝杭も八咫烏と同じように役職名だったと考えると色んな謎が解けます。
初代(孝霊朝)の溝杭は守口の大日彦、2代目(孝元朝)はウツシコオ、そして3代目(開化朝)が南方刀美神です。
そして三島の溝杭はすべて一括して事代主とされてしまった為、混乱が生じてしまいました。古事記では大国主(大彦)は高津姫との間に事代主神を儲けています。(旧事本紀)
混乱とは下記です。
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『日本書紀・神武紀』には、神武天皇の皇后となる媛蹈鞴五十鈴媛命に関して 事代主神、共三嶋溝橛耳神之女玉櫛媛所生兒、號曰媛蹈鞴五十鈴媛命。 『事代主神、三嶋溝橛耳神(みしまのみぞくひみみのかみ、陶津耳)の娘の玉櫛媛(たまくしひめ)に共(みあひ)して生める子を、なづけて媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)ともうす。』とあり、事代主神は神武天皇の岳父となっている。これは『古事記』で大物主神が三嶋湟咋(みしまのみぞくい、陶津耳命)の娘の勢夜陀多良比売(せやだたらひめ、活玉依毘売)との間に比売多多良伊須気余理比売を生んだことと一致する。
また『日本書紀』で三輪氏の祖の天日方奇日方命を生んだことと、『古事記』で三輪氏の祖の櫛御方命を生んだことに一致する。 その他、宝賀寿男や村島秀次は、綏靖天皇の皇后は、『日本書紀』本文では事代主神の女、『古事記』では師木県主の祖の河俣毘売となっていることから、神武東征以前の大和在地豪族で、磯城県主を任じられた弟磯城(おとしき、黒速)は天日方奇日方命と同一人物であり、また事代主神については、その系譜や世代関係(神武天皇の父母世代)からも実態は大物主神と同一神であると主張した。 また宝賀寿男は、葛城には事代主神を祀る鴨都波神社(奈良県御所市)があり、賀茂朝臣氏(地祇、三輪氏同族)が祖神を奉斎したと主張した。『ウィキペディア(Wikipedia)』
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弟磯城(おとしき、黒速)・天日方奇日方命はこのプログではウツシコオとしています。磯城の縣主もウツシコオですが、大日彦こと大目も十市の県主とされています。
「倭国六県」のひとつである十市県(大和国十市郡)。『古事記』では孝霊記の系譜記事に大目の娘・細比売命の名がみえる。倭王権の本拠地であった磯城県に対して、十市県は南西の防御線として置かれたとの見解があるが、記紀から確認できる十市県主の伝承は、キサキ(※注)(『古事記』では孝霊、『日本書紀』では孝安・孝霊)を輩出したことに留まっている。文安3年(1446)成立『和州五郡神社神名帳大略注解』巻4補闕所収の「十市県主系図」によれば、その始祖は事代主神であったとされる。 (kokugakuin.ac.jp)
キサキ(※注)~ウツシコオこと彦幸(ヒコサチ)はキサキ(木開)の足尼(スクネ)とも呼ばれています。「邪馬台国と神武天皇」牧尾一彦著 p368
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私の考えでは、南方刀美神は賀茂建角身命(武角身命)で、事代主は味耜高彦根神(アジスキ・タカヒコネ)です。賀茂建角身命は味耜高彦根神の兄だと思います。
ところで何で私が自信を持って南方刀美神(賀茂建角身命)が三島の溝杭だと言い切るかと言うと、それは、南方刀美神(賀茂建角身命)がカモ族だからです。カモ族は、大和(邪馬台国)の水運を司ってきた一族です。第25話~カモ族は水運業者
関連項目:三島の溝杭は大日彦
:大山祇
※これまでの記事はこちらです。
※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。
阪急南方駅
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