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君が代(1)~志賀海神社

更新日:7月1日

第364話~君が代の君はウツシコオ


志賀海神社(しかうみじんじゃ)は、福岡県福岡市東区志賀島にあります。全国の綿津見神社、海神社の総本社を称しています。龍の都と称えられ、古代氏族の阿曇氏ゆかり地として知られています。祭神のワタツミ(海・綿津見・少童)三神は、「海 = ワタ・ワタノハラ」海の神です。古事記には、綿津見神は、「阿曇連(あずみのむらじ)らが祖神ともちいつく神なり」と記しています。「アヅミ」または「アマツミ(海津見)」の神を奉斎する阿曇氏は海人集団を管掌する氏族です。


志賀島は金印(漢委奴国王印)が出土したことで知られていますが、この地で奴国の印が出土した理由は明らかではなく、阿曇氏ひいてはその氏神たる志賀海神社と奴国の関わりを推測する説もあり、同東区名島の名島神社では阿曇氏を儺(那)懸主(奴国?)であるとしています。


境内の鹿角堂(ろっかくどう)では、1万本以上ともいわれる多くの鹿の角が奉納されている。また「亀石(かめいし)」として、神功皇后による三韓征伐の際、阿曇磯良が亀に乗って皇后らの前に現れたという伝承に因んで後世奉納された霊石があります。


亀は、やはり浦島太郎=ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王でしょう。


志賀海神社では、山誉め祭の神楽歌として次の歌が歌われます。

「君が代は 千代に八千代に さざれいしの いわおとなりてこけのむすまで

あれはや あれこそは 我君のみふねかや うつろうがせ身骸に命 千歳という

花こそ 咲いたる 沖の御津の汐早にはえたらむ釣尾にくわざらむ 鯛は沖のむれんだいほや、志賀の浜 長きを見れば 幾世経らなむ 香椎路に向いたるあの吹上の浜 千代に八千代まで 今宵夜半につき給う 御船こそ たが御船ありけるよ あれはや あれこそは 阿曇の君のめし給う 御船になりけるよ いるかよ いるか 汐早のいるか 磯良(いそら)が崎に 鯛釣るおきな」


日本 国歌である君が代に酷似しています。歌が旅芸人によって広められ、古今和歌集に収められ、のちに薩摩琵琶の「蓬莱山」にある「君が代」になり国歌になったことが香椎宮に所蔵されていた筑紫の神楽記録から判明しています。


古代の九州北部では、海人を司る阿曇氏(安曇氏)が海上を支配し、志賀島は海上交通の要衝であり、その志賀島と海の中道を含めた一帯が阿曇氏の本拠地で志賀海神社は阿曇氏の中心地でした。


安曇の君はウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王であることは明らかです。

磯良(いそら)は阿曇磯良も天児屋根つまりウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王です。鯛釣るおきな(翁)エビス=事代主=ウツシコオです。参照:蛭子(ひるこ)もウツシコオ


本当のウツシコオの名前はシマコであると思われるのです。根拠は、魏志倭人伝の記事です。そこの長官を兕馬觚(じまこ、じばこ)というと前回で書きました。シマコは浦嶋子=浦島太郎*です。*浦島太郎の名称は時代によって異なり、蓬山・常世(→竜宮城)、浦島子(→浦島太郎)、亀比女(→乙姫)、玉匣(→玉手箱)のように変遷します。


奴国の王は安曇の君=ウツシコオで、奴国は大和朝廷(邪馬台国)の一部にすぎません。

ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王は大和朝廷(邪馬台国)の大王(おおきみ=大)です。       


                {参考文献}志賀海神社 - Wikipedia


      


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

※これまでの記事はこちらです。


<目次>



▼浦島太郎 絵巻物 【日本民藝館蔵

良く見ると左下に君が代の歌詞が書いてあります。鶴と亀もいます。


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4 Comments

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
Jul 11
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志賀海神社(しかうみじんじゃ)  鹿 角  境内の鹿角堂(ろっかくどう)では、1万本以上ともいわれる多くの鹿の角

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
Jun 29
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