第365話
古代史研究家の古田武彦氏は、君が代は古代筑紫地方の王に捧げる歌であるとされています。前号で述べたように、君が代は、志賀海神社(しかうみじんじゃ)の「山ほめ祭」で歌われたとされています。山誉めの神事は神功皇后の前で行われたことや、それ以前から続いていることが太平記に記されていることから、祭は、弥生時代にはすでに存在していた可能性があるともされています。山誉種蒔漁猟祭では豊作を祈って種まきの所作があり、秋の山誉漁猟祭は大漁を祈って網引きの所作があり、 福岡県指定無形民俗文化財に指定されています。
「君が代は」の部分は、元々は「我が君は」だったようで、古今和歌集(905年)に題知らず読み人知らずとして納められています。和漢朗詠集でも、古い写本は「我が君」となっています。「我が君」という特定の人物を指し示す直接的な表現が、「君が代」という、特定の人物に限定しないような、間接的な表現に置き換わったのは、この歌が、一般庶民の世界に入り込み、「君」は身近な存在としての年長者や有力者を意味するようになったということですが、それと同時に、「君」が実は「天皇」を指すのだという説が一部の学者・思想家によって主張されています。君が代は「我が大君の天の下知しめす」と天皇賛美の歌として、江戸時代前期において、「君」は天皇であるとして、「天皇の御世を長かれと祝賀する歌である」という解釈が存在したことは確実です。
私は、前回で書いたように、君が代の「君」はウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)だと思います。
〇君が代の歌詞にある苔のむすまでと関係があると思われる神社が、福岡県糸島市志摩船越桜谷にあります。若宮神社(わかみやじんじゃ)です。かつては桜谷神社と呼ばれていました。祭神は「苔牟須売神(コケムスメ)」と「木花咲耶姫(コノハナノサクヤビメ)」の二柱。祭神の苔牟須売神とは地元では「盤長姫命(イワナガヒメ)」の事として伝承されています。盤長姫命(イワナガヒメ)は木花咲耶姫(コノハナノサクヤビメ)の姉で京都の貴船神社のに祭られていることから、カモ族の姫です。父親は大山祇です。
参照:第205話:石長比売は美人だった!~貴船神社 第138話:木花之佐久夜毘賣(この花咲くや姫)
〇「君が代」の基となった歌詞は、平安朝時代、文徳天皇(在位850‐858)の皇子惟喬親王(これたかしんのう)に仕えた木地師が、江州小椋郷(現在の滋賀県東近江市)の君ケ畑から木地椀の良材を求め春日村に移り住み、江州の君ケ畑へ通う途中、自然に凝固、苔むして巨巌となっている珍しい石の状態を見て、「わが君は、千代に八千代にさざれ石の巌(いわお)となりて苔のむすまで」と読みました。
都では見かけぬ珍しい石であり、秀ぐれた歌であるとして古今和歌集に採録されました。
しかし、その男は身分が低かったので、「読み人知らず」の歌と扱われましたが、 その後、朝廷から歌の上手さを認められ、石にちなんで 藤原朝臣石位左衛門という名前を授けられました。この歌が、上一句を替えて国家の原歌となったとされています。
岐阜県にさざれ石公園(岐阜県揖斐郡揖斐川町春日)があり、「君が代」発祥の地だとしています。春日村と岐阜県がこの石を天然記念物に指定しましが想像と願望からなるもので、史料は一切ありません。前回で君が代は、志賀海神社の神楽歌と書きました。その歌にはにすでにさざれ石の歌詞があります。とういうことは前述の木地師云々の話そのものが信用できないことになります。君が代を志賀海神社(しかうみじんじゃ)の「山ほめ祭」と切り離したかったのかもしれません。君が代の「君」とは、ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)であることを忘れて欲しかったのでしょう。
ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)はヤマト(邪馬台国)の大君(おおきみ)です。
関連項目:君が代(1)~志賀海神社
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
※これまでの記事はこちらです。
<目次>
なお、さざれ石は、日本の各地にあります。
北史 倭国伝 – 古代史俯瞰 by tokyoblog (tokyox.sakura.ne.jp)
倭國在百濟、新羅東南、水陸三千里、於大海中依山島而居。魏時、譯通中國三十餘國、皆稱子。夷人不知里數、但計以日。
<邪馬台国の新常識>
ウガヤフキアエズのミコト
邪馬台国の誕生
徐福伝説と「呉の勝」
日向は大阪府守口市
櫛名田比売2~八雲は守口市
ウツシコオの名前についての弁明
多氏と長脛彦
饒速日と長脛彦
<河川は古代の高速道路>
市寸島比売は厳島!~広島・三島 )
真舌媛は、宗像三女神!~三島(茨木市)
全ての道は三島に通じる。
<欠史八代の天皇の正体>
素戔嗚(スサノオ)は、孝霊天皇
丹・朱を求めた天皇たち
<大彦>
大国主は、大彦
大彦
大彦は、高倉下~新潟県西蒲原郡弥彦村
大彦の北陸道遠征
大彦~メスリ山古墳: 桜井市
大彦は、綏靖天皇~タケハニヤスの乱4
大国主は、大彦 ~出雲は三島
<卑弥呼>
卑弥呼は名草トベ~和歌山市
卑弥呼は萬幡豊秋津師比売
<ウツシコオ(内色許男命)=大綜麻杵(オオヘソキ)>
ウツシコオは難升米ではなかった?
ウツシコオは魏志倭人伝に登場する難升米
八咫烏の真実~ウツシコオ陰謀の始まり
<饒速日>
饒速日は大阪府茨木市出身
星の降る町~速玉は饒速日
伊都国 一大率は五十猛(饒速日)
孝元天皇は五十猛!~椿井大塚山古墳
五十猛の九州征圧
神功皇后と五十猛
饒速日が死んだ!~ウツシコオの陰謀
孝元天皇と家族たち
饒速日はスサノオの子