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和知津美命はワタツミ!!

更新日:5月16日

第319話~磯城は守口


孝霊天皇の后は細姫(マシタ姫=市杵島姫命)ですが、他に倭国香媛(やまとくにかひめ)がいます。別名は絙某姉(はえいろね)。妹の絙某弟(はえいろど)も孝霊天皇の妃とされる。またの名、意富夜麻登久邇阿礼比売命(おほやまとくにあれひめのみこと)と記されています。父は和知都美命(わちつみ)です。


中原系図※によれば磯城津彦の後を十市県主とするとあり、そして「磯城津彦と磯城津彦の子の和知都見(わちつみ)は磯城県主であったと思われる。したがって、磯城県主であり、十市県主の祖である大目は、磯城津彦の子の和知都見を指すものと思われる。」と書いてあります。


※中原氏(なかはらうじ)は、10世紀の明経博士中原有象を氏祖とし、広澄流清原氏と共に明経道を、坂上氏と共に明法道を家学とした氏(うじ)。孝元天皇外戚とされる伝説的人物の十市県主大目を上祖とする十市氏の後裔です。


日本書紀第1の一書で孝霊天皇の皇后は春日千乳早山香媛で、第2の一書では十市県主等の祖である真舌媛(マシタ姫=市杵島姫命)としています。


ということは、磯城県主であり、十市県主の祖である大目は、和知都見ということです。


十市県主について、815年に編まれた新撰姓氏録は、十市県主と同族の中原系図において、十市県主は、磯城県主から分れた旨を記載しています。十市県主が、大目の後に磯城県主から別れたのであれば、大目が、磯城県主であり、十市県主の祖であっても矛盾はない。中原系図によれば磯城津彦の後を十市県主としています。


このプログでは、真舌媛(マシタ姫=市杵島姫命)の父親の大目は、守口の大日であると何度も書いて来ました。


したがって、絙某姉(はえいろね)、意富夜麻登久邇阿礼比売命(おほやまとくにあれひめのみこと)も大目=大日の子ということになります。真舌媛(マシタ姫=市杵島姫命)と

絙某姉(はえいろね)は同一人物です。参照:絙某姉(はえいろね)は真舌媛??


大日は大山祇でした。大山津見神(大山祇)はワタツミと対比した神です。和知津美命とはワタツミではないのでしょうか。


そして大目が、磯城県主であるということは、疫病の大流行で大和朝廷(邪馬台国))が今の奈良盆地に移動する前は、大阪府守口市が磯城であったということです。磯城は現在の奈良県桜井市周辺とされ、古代日本の政治的中心地の一つとされています。大和政権の形成期において重要な役割を果たし、日本の歴史に大きな足跡を残しています。大阪府守口市、枚方市、茨木市、高槻市、京都府男山市が邪馬台国の中心地であったことになります。


<邪馬台国は北摂です>




※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

※これまでの記事はこちらです。





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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
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また『多神宮注進状』には当社の創建由緒として次のように記しています。

  • 綏靖天皇二年春に神八井耳命が春日県(後の十市県)に大宅を造り、神籬磐境を立て、自ら皇祖天神の神事を司り、県主の遠祖である大日諸命(鴨王命の子)を神主として祀った。

社名の通りであれば弥志理都比古(みしりつひこ)を祀る神社ということになるが、これは神八井耳命のことである。多氏

  • 神武天皇の長子でありながら弟に皇位を譲ったことから、ここから「身を退いた」という意味で「ミシリツヒコ」とも呼ばれる

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秀丸 遠嶽
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