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国譲り   ~ミシマVsミマキ

更新日:2月27日

第38話


高天原に住む天照大御神は、「葦原中国は私の子、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみ)が治めるべき国である」と命に天降りを命じたが、命は天の浮橋から下界を覗き、「葦原中国は大変騒がしく、手に負えない」と高天原の天照大御神に報告した。


【解説】

枚方(ミ・マキ:邪馬台国)にいたアマテラス(この場合、ウツシコオ)は、対岸の三島(茨木)にいるカモ族(出雲族)の利権を狙っていた。正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(オシホホミミ)は開化天皇です。三島(出雲)の建御名方神は、抵抗します。


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◎天照大神は思兼神の妹・万幡豊秋津媛命(よろずはたとよあきつしひめ)を正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊に娶せた。


【解説】

ウツシコオは、自分の妹(姉?)であるウツシコメを孝元天皇に嫁がせました。できた子が開化天皇でその子供がミ・マキ入彦です。ウツシコオはイカガシコメ(ウツシコオの娘、イカガシコオの妹を開化天皇(オシホホミミ)に嫁がせています。


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◎天照は、三島に使者を送り、大己貴神(オオナムチ)に「この国を天の神に譲るか」と問い詰めた。


【解説】

オオナムチはこの時、判断を事代主にまかせました。事代主は、三島の溝杭です。大国主の子でスサノオ(天王)の孫です。ウツシコオも、スサノオの子の饒速日の血を引いています。

このような事態になったのは、饒速日が亡くなっためで、後継者争いです。建御名方神もスサノオの血をひく大国主の子です。


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大物主神と事代主神は八十万神を天高市(あまのたけち)に集めて、それらを率いて天に昇って忠誠心を示した。高皇産霊尊は大物主神に「もし国神を娶れば、お前には謀反の心があると思ってしまう。だから、私の娘の三穂津姫(みほつひめ)をお前の妻とさせたい。八十万の神々を率いて、永遠に皇孫(すめみま)を守護し奉れ」と勅して、下界に帰り降らせた。


【解説】

建御名方神は抵抗しますが、建御雷神に力勝負で敗れ、諏訪へ逃れます。

三島の溝杭こと事代主は、ウツシコオの配下に入ることになりました。三穂津姫は玉櫛姫です。


事代主神と建御名方神の国譲りは、『日本書紀』の神婚譚にも見えるように、実際には現在の奈良(旧大和国、×大神・磯城周辺茨木市の奈良)であったとされています。(× 〇は筆者の挿入) 実際に『出雲国風土記』には事代主神も建御名方神も登場しません。


記紀神話における「出雲」を現実の出雲国だけではなく、ヤマト王権に帰順しなかったと思われる地域・部族の総称とする説もあります。


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<2023.10.13日追記>


この出来事は、BC239年の話と思われます。

孝元天皇は、西暦240年頃に崩御されたと推定されています。私の考えでは孝元天皇は饒速日(ニギハヤヒ)です。島根県太田市にあるウマシマジを祀る物部神社の社伝によりますと、「神武天皇御東遷のとき、(饒速日の子ウマシマジは)忠誠を尽くされましたので天皇より神剣・霊剣を賜りました。また、神武天皇御即位のとき、御祭神は五十串を樹て、布都霊剣・十種神宝を奉斎して天皇のために鎮魂宝寿を祈願されました。かくて辛酉年正月朔日、天皇即位し給う。」とあります。この天皇はミマキイリヒコ(崇神天皇のことと思われます。ということはその前年に孝元天皇が亡くなったことになります。


関連項目:出雲神話の真実


※これまでの記事はこちらです。

※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。




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tootake
Oct 07, 2023
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