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地球幾何学2~八雲(大阪府守口市)

更新日:2023年12月9日

第171回


仁徳天皇陵(大仙陵古墳)から牧野車塚古墳:枚方市車塚1丁目に引いた線を更に南西に引っ張っていくと線上に八坂神社(大阪府門真市御堂町)が出てきます。京都の八坂神社でと同じ名前です。この神社は創建が分からないくらい古く、祭神はもちろん素戔嗚です。御堂という地名が気になります。実はこの近くの地名は八雲なのです。


八俣遠呂智(ヤマタノオロチ)を退治したスサノオは、櫛になった櫛名田比売と暮らす場所を求めて出雲の根之堅洲国の須賀の地へ行き、そこで「夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐 都麻碁微爾 夜幣賀岐都久流 曾能夜幣賀岐袁 」(八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を)と詠んだその八雲です。


守口市に八雲神社はあります。〒570-0008 大阪府守口市八雲北町2丁目15−1 

そしてやはりありました。市杵島姫命由来の神社が!

市杵島神社(天乃神社境外攝社)〒570-0039 大阪府守口市橋波西之町3丁目11−8

市杵島神社のイチキシマとは、素戔嗚(孝霊天皇)の妃の名前です。素戔嗚(スサノオ)は、孝霊天皇


十市(イチ)県主は、もとは春日県主で春日は茨木市(三島)です。味舌(地名〒566-0022)も三島です。そして孝霊天皇の后の出自に関して、日本書紀では磯城県主大目の娘とされ、古事記では十市県主の祖の大目(大日の誤り、大日は地名〒570-0003)の娘である細比売としています。

・素戔嗚の妻は大山祇命の娘の神大市比売(カムオオ”イチ”ヒメ)

・孝霊天皇の后は大目(大日彦=十”市”県主=大山祇)娘の

         細媛命=真舌媛・味舌姫(=市(イチ)杵島姫神


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味舌(摂津市)はこの大日から淀川を渡ったすぐ近くにあります。

味舌」は、事代主神後裔氏族(カモ族:三島の溝杭の子と)に関わる地名であり、味舌の北東4.3kmに、溝咋神社が所在することから、一帯が、事代主神を属性とする水運の要衝であったことがわかります。『紀』孝霊紀2年2月条に、后について、「一に云はく、十市県主等が祖が女真舌媛といふ」とみえる、真舌媛は、当地に関わると推測されます。

味舌(ました)は、千里丘陵から安威川右岸に広がる、中央を山田川が流れる長方形の地です。だから、ピンときました。孝霊天皇も元々は三島の人間だったんです。

中世の味舌庄にあたり、甘舌・真舌とも書かれ、淀川下流の有力な分流の1つである、三国川に面し、対岸の地、鯵生(あじふ)野は、『住吉大社神代記』の「長柄船瀬本紀」にみえる、遣唐使船に荷物が積み込まれたという、長柄船瀬(港津)の地に比定されます。

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お判りでしょうか。この地域は、市杵島姫=神大市比売=細姫=味舌姫の生まれた場所と思われるのです。市杵島姫命の父親は十市県主の祖の大目(大日)です。そしてこの辺りの最寄りの駅は大阪メトロ谷町線の大日です。


菊理媛神~大目は大日(守口市) でふれた白山神社、飛来神社もこのすぐ近くです。


そしてこの辺りには茨田堤(まんだのつつみ)があります。

仁徳天皇(オオササギ王)が淀川沿いに築かせたとされる堤防です。 日本書紀に「天皇は、北の河の澇(こみ)を防がむとして茨田堤を築く(天皇は洪水や高潮を防ぐことを目的として、淀川に茨田堤を築いた)」との記述があり、茨田堤の成立を物語るものとされている。当時、草香江(または河内湖:下図)と呼ばれる広大な湖・湿地帯が横たわっており、北東からは淀川の分流が、南からは平野川(現代の大和川)が草香江に乱流しながら流入していた。上町台地の北からは大きな砂州が伸びており、この砂州が草香江の排水を妨げていたため、淀川分流や平野川からの流入量が増えると、容易に洪水・高潮などの水害が発生していた。」とあります。


八俣遠呂智(ヤマタノオロチ)とは洪水・高潮のこととおもわれます。

この茨田堤を作ったのは素戔嗚=孝元天皇ではないでしょうか。


※これまでの記事はこちらです。

※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。




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tootake
Dec 08, 2023
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