第261話~大国主は白兎をたすけたのか。
下記はすべてスサノオの名前の名前です。
櫛御食野命:櫛御氣奴命:櫛御氣野命:久志美氣濃命:くしみけぬのみこと
熊野加武呂乃命:くまのかむろのみこと
神祖熊野大神櫛御気野命:かむろぎくまのおおかみくしみけぬのみこと
伊射那伎乃真名子加夫呂伎熊野大神櫛御気野命:いざなぎのまなこのかむろぎのくまのおおかみくしみけぬのみこと
家津御子神:けつみこのかみ、家都美御子大神:けつみみこのおおかみ
神祖熊野大櫛御食野命(かむろぎくまのおおかみくしみけぬのみこと)
「謎の四世紀」の著者である上垣内憲一先生は、「熊野に鎮座する熊野三山の祭神にの中に三毛入野(ミケイリノ)に通ずる名前をもつものがある。すなわち、熊野本宮の主神である家津美御子(ケツミミコ)大神である。これだけでは、三毛入野との関りがわからない、という人もいるであろう。それに対しては、出雲にある熊野大社の名前を参照することで答えよう。出雲の熊野大社の祭神は櫛御気野命(クシ・ミケヌ)とされる櫛=クシ「奇し」であり、霊妙を意味する美称である。ミケヌが名前の本体である。この名前がミケイリノによく通ずるのである。」「謎の四世紀」p137]
上記より素戔嗚が三毛入野であると思ってもよさそうです。第256話ではウガヤフキアエズは和歌山県の名草で生まれたと述べました。三毛入野=ウガヤフキアエズ=素戔嗚で、その子が大国主だとされています。
地神本紀系譜によりますと大国主(オオナムチ)は素戔嗚の子とされています。
そして先代旧事本紀では、物部氏の祖神である饒速日命の子で尾張連らの祖天香語山命(彌彦神社の御祭神)の割註に「天降り以後の名は手栗彦命または高倉下命である」としています。天香語山命は、高倉下のことです。
天孫本紀では、天香語山命は紀伊国の熊野邑(和歌山県新宮市や紀ノ川流域)に住んでいたと書いてあります。高倉下は大彦で饒速日(孝元天皇)の子です。紀ノ國(和歌山県)の熊野は素戔嗚と関連のある場所です。
第118話では、こう書いています。三重県の熊野市では紀州鉱山が最近まで稼働していました。ここでは様々な鉱物が産出しています。元々は、天香久山は熊野にある山で、この鉱山の持ち主が素戔嗚だったのです。そして素戔嗚の子の大歳(饒速日)と孫の高倉下がそこの管理を任されていたのではないでしょうか。高倉下(大国主)の別名はオオナムチで(大穴持ち=鉱山の管理者)という意味です。記紀版Q資料には天香具山のことが書かれていたのですが、五百年後の記紀の著者たちにはその場所が分からなかったため奈良盆地の山の一つを選んで聖なる山である天香具山としたのです。そしてそれが大彦と関係があることを悟られないように大彦を一字かえて天香語山命としたのでしょう。
今回なにが言いたいかというと素戔嗚や大国主の活躍の場は紀州であって決して出雲ではないということです。大国主が出雲ので何をしたかというと白兎を助けたぐらいしか思いつきません。素戔嗚の八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治する話も明らかなつくり話です。
素戔嗚や大国主(高倉下=天香語山命)は、今の出雲と呼ばれている地域には行ったことがない!と私は思います。
※このブログでは、反逆者のことを出雲としています。反逆者とされるタケハニヤスが山城国愛宕郡出雲に拠点を持っていたからです。出雲の誕生~邪馬台国全史4
関連項目:出雲大社と熊野大社
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