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tootake

大山祇~邪馬台国異聞8

更新日:4月9日

第133話


古事記では大山津見神、日本書紀では大山祇神、とも表記され全国の大山祇神社(山積神社/大山積神社/大山津見神社含む)の他、三島神社(三嶋神社)や山神社(山神神社)の多くでも主祭神として祀られています。


日本書紀によると、素戔嗚(スサノオ)は、大山祇(オホヤマツミ)の娘である神大市比売神との間に大年神と宇迦之御魂神(うかのみたま)をもうけていると記しています。大歳は饒速日で、宇迦之御魂神はお稲荷さんであることは依然書きました。

神大市比売は宗像三女神の市杵島姫です。真舌媛は、宗像三女神!

今回問題にしたいのは、大山祇(おおやまつみ)を神大市比売神の父親としている点です。

日本書紀の本文、古事記では、市杵島姫命は十市県主大目の娘。十市県主祖の真舌媛と書かれています。十市御縣坐神社は、奈良県橿原市にある神社で、主祭神は豊受大神、配祀は市杵島姫命で社伝では「孝霊天皇記に見える十市県主の祖の大目を祭神とする。また、大目の娘である細媛命は孝霊天皇皇后である。」と書かれています。素戔嗚(スサノオ)は、孝霊天皇 です。素戔嗚の娘が市杵島姫命で、孝霊天皇の后が真下姫(味舌は地名)ですが、市杵島姫命(真下姫)を素戔嗚(スサノオ)の妻とすれば、素戔嗚は孝霊天皇です。


大目は大日の書き間違いであることをこのプログで指摘しました。


牧尾一彦著「邪馬台国と神武天皇」p462に「和州五郡神社神名帳大略注解所の十市縣主系譜に、十市縣主の祖は大日彦(オホヒヒコ)の娘である。」と書いてありました。私の推論は正しかったようです。大目は大日です。イチというのは真下姫(細媛命)のことです。素戔嗚は大山祇命の娘の神大市比売(カムオオ”イチ”ヒメ)を娶ったと古事記に書いてありました。このことにより、大山祇は大日彦です。素戔嗚が孝霊天皇であることも証明できました。


大日とは、大阪府守口市にある地名です。〒570-0003

守口市の対岸が摂津市です。つまり大日も三島で邪馬台国(大和)一部です。


全国に何百もある三島神社は大山祇神を祀っています。総本社は大山祇神社愛媛県今治市大三島)及び三嶋大社静岡県三島市)です。ちなみ全国の三島神社の三島(ミシマ)は大阪府茨木市が由来であることは間違いありません。大山祇神(三島神)は最初は、淀川の渡船の神として祀られていたとされています。(後述


大山祇(大日彦)自身の事績を記紀に求めても何も書いてありません。大山祇が神として祭られたのは、娘の市杵島姫神(真下姫)が水上輸送の神として祭られたからです。大山祇を祭る神社が宗像三女神を祭る神社よりも新しいとのはそのためです。


守口市は私のいる枚方市の近隣都市です。守口市大日には友人もいます。いわば大日彦=大山祇は「守口のおっちゃん」です。決して、大山祇を馬鹿にしているわけではありません。親しみを感じているのです。





※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。 

※これまでの記事はこちらです。



※これまでの記事はこちらです。このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。


軍艦島でも大山祇を祭っていました。




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tootake
Oct 27, 2023
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