top of page
tootake

天児屋命はウツシコオ!!

更新日:6月17日

第349話


第347話:推古天皇は架空の天皇で大阪府交野市地味肥え作物豊かな野であったので「甘野」といわれ、後に天野(あまの)となりました。古事記・日本書紀に出てくるアマ・アメはこの交野市私市(天野)が起源です。と書きました。ということは天児屋命(あめのこやね)も交野市にいたのでは、、、と思って調べようと思ったら、第315話:阿曇磯良は天児屋根命?? で下記のように書いていました。


阿曇磯良(安曇磯良:あづみのいそら)は安曇氏(阿曇氏)の祖神とされています。

「磯」と「渚」は共に海岸を指すことから阿曇磯良は豊玉毘売命の子で、日子波限建(ヒコナギサタケ:鵜葺草葺不合命の別名)と同神であるとする説があり、また、八幡愚童訓では、磯良は春日大社に祀られる天児屋根命と同神であるとしています。


八幡愚童訓(石清水八幡宮縁起)では、磯良は春日大社に祀られる天児屋根命と同神であるとしていますが、これは信用できません。が、考えて見れば天児屋根命はずっとウツシコオ(内色許男命)と行動を共にしています。天児屋根も呉の勝の一族であったということです。


これは信用できません。としてしまったのは、天児屋根命は中臣氏=藤原氏で物部氏を滅ぼした一族だという固定観念があったためです。中臣氏が藤原氏を滅ぼすのは邪馬台国の時代よりも何百年も後のことです。


阿曇磯良は、日子波限建(ヒコナギサタケ:鵜葺草葺不合命:ウガヤフキアエズ)で天児屋根命だったのです。ウツシコオの一族です。


天児屋命の子に天押雲根命という人物がいます。別名は天村雲命*注です。

天孫本紀などでは、天村雲命は高倉下命の子で、尾張連とされています。高倉下命は大彦です。大彦は、孝元天皇の子とされていますが実はウツシコオです。


天児屋命の別名として、八意思兼神とも同一視する説もあります。中田憲信「兼松」『諸系譜』第二十四冊。八意思兼神とはウツシコオのことです。


もう間違いないでしょう。天児屋命はウツシコオ(内色許男命)です。


古事記・日本書紀はウツシコオの伝記なのです。

記紀の作者たちは、500年前の記事を書いています。残された資料はおそらくイカガシコオが書いた資料しかありません。その資料はイカガシコオの父であるウツシコオの関連の記事でばかりであることは間違いないでしょう。

当時の日本で文字を読める人物はほとんどおらず、ましてや歴史書などをかける者などいるはずがありません。イカガシコオは偉大な父の実績を残しておきたかったのでしょう。

記紀の作者たちは、それではまずいので、ウツシコオを様々な別の人物として再構成したのです。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

*注

「中臣寿詞」の伝承や摩氣神社の社伝、大同本紀などの史料の記述を総合すると、天孫降臨のとき地上には未熟で荒い水しか存在せず、父の命によって天押雲根命が高天原より天津水(天忍石長井水)を持ち還り、この水を皇孫に奉ったとされています。これらの伝承では天牟羅雲命の神名で登場しています。



※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

※これまでの記事はこちらです。


<目次>


天児屋命(アメノコヤネノミコト)は祝詞を読んだ重要な神様


閲覧数:104回1件のコメント

最新記事

すべて表示

1 Comment

Rated 0 out of 5 stars.
No ratings yet

Add a rating
秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
Jun 14
Rated 5 out of 5 stars.
Like
bottom of page