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tootake

天児屋根命

更新日:7月7日

第190話


今回は、前回の枚岡神社の祭神について考えてみます。

枚岡神社と奈良県の春日大社の祭神は武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神の四柱です。枚岡神社では、天児屋根命が第一殿ですが、春日大社では第一殿は武甕槌命です。


武甕槌命(タケミカヅチ)は、中臣氏(藤原氏)の祖先ではなく、藤原氏守護神とされています。武甕槌命は国譲りの際に大国主の子の建御名方神(タケミナカタ)と戦って打ち負かせています。経津主命もこの時、武甕槌命とともに下界に降されています。経津主神の派遣が決まった直後に武甕槌命「立派な男は経津主殿一人しかいないわけではなかろう、私は立派な男でないというのか」と不満を訴えたために武甕槌命も同行を許されたのであり、使者の中では飽くまで経津主神の次位として扱われているのが奇妙です。経津主神は以前書いたように人の名前ではなく剣の名前なのです。日本書紀の筆者はこの事を知らなかったのでしょう。経津主神は剣! (hidemaru3375.com)


とは言え武甕槌命は国譲り=出雲平定=大和朝廷(邪馬台国)簒奪の立役者ですので中臣氏は武甕槌命を尊敬し、以後、中臣氏の守り神としたのだと思います。古代において、関東・東北の平定は、この二大軍神の加護に祈祷して行われたので、この地方にはこれらの神の分社が多く建てられています。

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<追記>

中臣氏は古くから鹿島神ことタミカヅチを祖神として信奉しています。その理由はよく分かりませんでしたが、中臣氏がタケミカヅチを討ったため、長脛彦のように祟られるのが怖かったため、神として祭ったと思われます。武埴安彦命の乱~天児屋根の陰謀

<追記>2024.7.7

鹿島神宮、枚岡神社、春日大社で武御雷(タケミカヅチ)が祭られている理由がやっと分かりました。彦狭島命~吉備児島 もご覧ください。

彦狭嶋命の「狭島」が「鹿島」で武御雷(タケミカヅチ)は天児屋命はウツシコオです。


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天児屋根命は天孫降臨の際邇邇芸命に随伴したとされていることから、大和朝廷(邪馬台国)にずっと関わってきた一族です。古事記では岩戸隠れの際、岩戸の前で祝詞を唱え、天照大御神が岩戸を少し開いたときに布刀玉命とともに鏡を差し出したとあります。

天児屋命も五伴緒のメンバーです。記紀の色んな場面で登場し、様々の神社についでのように祀られています。しかしこれといった実績はありません。このブログでは以前に下記のように書いています。天鈿売命(あめのうずめ)


「中臣寿詞」の伝承や摩氣神社の社伝、大同本紀などの史料の記述を総合すると、天児屋命は天孫降臨のとき地上には未熟で荒い水しか存在せず、父の命によって天押雲根命が高天原より天津水(天忍石長井水)を持ち還り、この水を皇孫に奉ったとされています。卑弥呼(ウツシコメ)が名草(和歌山)から移り住んだと思われる枚方市中宮山戸町は高台ですので井戸を掘っても良い水が出なかったのでしょう。つまり天児屋命はお茶くみ係(パシリ)だった、、、、


魏に赴いとされる難升米ではないかとされる梨迹臣命(なしとみのみこと)は、中臣氏の祖とされています。この人物は記紀には記載されず近江国風土記で余呉湖の羽衣伝説おいて、近江国伊香郡与胡郷の人である伊香刀美が、天女との間に生んだ二男二女の次男として登場しています。ウツシコオは難升米ではなかった?? (hidemaru3375.com)


比売神 は天児屋根命の妻とされていますが、その正体は天照大御神であると説があり、私は卑弥呼(ウツシコメ)だと思います。卑弥呼は萬幡豊秋津師比売命!! (hidemaru3375

天児屋根命に建御名方神(タケミナカタ)の討伐を命じたのは、卑弥呼です。


なお大阪府茨木市(=三島;御島)の市内には春日神社9社もあり、これによっても中臣氏が、三島=邪馬台国と深く関わっていたことが分かります。春日神社9社は以下です。

倍賀 下穂積 庄 上穂積 清水(元延喜式内社) 銭原 中穂積 天王 豊川



天児屋命はウツシコオ!! もご覧ください。



※これまでの記事はこちらです。

※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。



清水(元延喜式内社)の春日神社


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