第345話~茨木・高槻
第331話:朱智神社~迦邇米雷王 では、朱智神社があるあたり一帯は天王(地名:京都府京田辺市天王)です。素戔嗚(スサノオ=天王)の領地であったこの地をウツシコオが譲り受けたのでしょうか。それとも奪い取ったのでしょうか。まだまだ検証が必要です。と書きました。これはウツシコオの拠点地である内里とこの辺りがあまりにも近いからでした。第307話:大隅隼人は京都府京田辺市 で書いた大住=大隅もこのちかくです。
天王という地名は大阪府茨木市にもあります。茨木市奈良で、玉櫛、五十鈴、天王という地名がかたまってあります。溝杭神社も近くです。さらには淀川に行けば味舌(ました)という地名があり、淀川の渡ればそこは日向、八雲、大日です。ここは素戔嗚とマシタ姫=細姫=卑弥呼ゆかりの地です。卑弥呼は市杵島姫命!! 大日彦も素戔嗚(スサノオ)=天皇でしょう。大日彦(オホヒヒ彦)~守口
茨木市東奈良は、東奈良遺跡のあるところです。
東奈良遺跡(ひがしならいせき) 大阪府茨木市東奈良一丁目・二丁目
高槻市の天王〒569-0088は、安満遺跡(あまいせき)大阪府高槻市8丁目畷町の近くです。
こうなると、素戔嗚の領地をウツシコオが奪い取ったとか譲りうけたと考えるより、ウツシコオは素戔嗚であると考えた方が納得できます。第333話:牛頭天王(スサノオ)はアメノヒボコ? では、牛頭天王の牛頭からは、頭に角が生えた人=ツヌガアラシヒト=アメノヒボコを連想してしまいます。アメノヒボコはウツシコオです。としました。
よって素戔嗚(スサノオ)はウツシコオのです。
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素戔嗚とマシタ姫は夫婦で、守口市八雲でハネムーンを過ごしたものと思われます。そして
出来た子が日向御子です。日向御子~大神神社 日向御子は饒速日です。
となると卑弥呼=ウツシコメというのが怪しくなってきます。卑弥呼は萬幡豊秋津師比売
ウツシコオとウツシコメは兄弟(姉弟)です。
ヒルコ(ウツシコオ)とヒルメ(ウツシコメは卑弥呼)は双子の兄弟です。第298話:蛭子(ひるこ)もウツシコオ
マシタ姫とウツシコメは同一人物と考えると茨木市の玉櫛、五十鈴という地名がヒントになります。玉櫛姫は五十鈴姫の母親です。
※玉櫛姫が、卑弥呼で五十鈴姫がトヨ=とよ(乎止与命・台与・臺與)でしょう。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
※これまでの記事はこちらです。
<目次>
たまちゃんです。雨を降らすのが得意な茨木の神さまです。(玉櫛媛)
古代の日本において、忌部氏とともに神事・祭祀をつかさどった中央豪族で、古くから現在の京都市山科区中臣町付近の山階を拠点としていた。天児屋命(アメノコヤネ)を祖とする。姓(かばね)は連(むらじ)、八色の姓制定後の姓(かばね)は朝臣(あそみ・あそん)。
即位した仁徳天皇は難波高津宮(なにわたかつのみや)に都を移すが
鵲(かささぎ)はカラス科の鳥で、日本書紀によると推古天皇6年、聖徳太子に命により新羅へ渡った吉士盤金(きしのいわかね)が持ち帰り、難波の杜で飼ったとされています。
吉師氏は、大阪府吹田市(岸部駅の次が吹田駅です)に本拠を持つ豪族です。阿部(安部)氏~岸辺(吹田市)
邪馬台国(目次) 第281話~第320話 (hidemaru3375.com)
第160話~第200話 作り直し
松尾大社
社殿創建以前の祭祀については、未だ明らかではない。前述(祭神節)のように松尾大社に関する古い伝承には、大山咋神が鎮座するという『古事記』の伝承[原 1]、宗像の中部大神(中津島姫命)が鎮座するという『秦氏本系帳』の伝承[原 5]、秦氏に加えて賀茂氏も創立に関与したとする『秦氏本系帳』の別伝承[原 3]の3種類が存在するが、これらの解釈には不明な点が多い[5]。また、大宝元年(701年)に社殿が造営されたとする記事は『伊呂波字類抄』(平安時代末頃)にも確認されるが[1]、『続日本紀』の同年記事[原 7]に山背国葛野郡の月読神・樺井神・木島神・波都賀志神等の神稲を中臣氏に給すると見えることから、松尾大社の祭祀についても中臣氏の神祇政策が背景にあると指摘される[4]。
月讀神社(つきよみじんじゃ)は、京都府京田辺市にある神社である。式内大社。隼人舞の発祥地として知られる。
当神社が所在する「大住」という地名も九州の「大隅」に由来と考えられる[2]
ツクヨミはアマテラスとスサノオの兄弟