第269話
アメノワカヒコ(天若日子、天稚彦)は、葦原中国を平定するに当たって、遣わされた天之菩卑能命(アメノホヒ)が3年たっても戻って来ないので、次に天若日子が遣わされました。アメノワカヒコは高天原のアマテラスおよびタカミムスビから「地上の荒ぶる神々を平定せよ」という名を受けて地上に派遣されましたが、地上で出会ったオオクニヌシの娘であるシタテルヒメと恋に落ち、使命を放棄してしまいます。
このような事態に打開すべく、高天原の神は任務遂行を催促する為の使者をアメノワカヒコの元に派遣しますが、あろうことかアメノワカヒコはこの使者を弓矢で射殺すという暴挙にでます。使者を射抜いた矢はそのまま天上に住むアマテラスとタカミムスビの元まで届き、アメノワカヒコが使者を殺した事が知られてしまいます。
下照姫との恋に溺れて使命を放棄し、その罪によって亡くなるという悲劇的かつ反逆的な神として、民間では人気がありおました。平安時代の「うつほ物語」、「狭衣物語」などでは天若御子の名で、室町時代の御伽草子に収録されている「天稚彦草子」では天稚彦の名で登場し、いずれも美男子として描かれています。
名前の「ワカヒコ」は単に若い男の意味で、「神」「命」「尊」の尊称がついていません。天若日子の喪屋は古事記では地上に作ったとありますが、日本書紀では疾風(はやち)に遺体を上げさせて、喪屋は天に作ったとあります。
この事件を最後に天若日子と、阿遅志貴高日子根神(迦毛大御神)はその後の記録には一切登場しなくなります。天若日子と阿遅志貴高日子根神(アジスキタカヒコネ)がそっくりだったということで、本来同一の神であったとする説もあります。阿遅志貴高日子根神が天若日子の喪屋を切り伏せるという神話が記されており、通説ではその天若日子の喪は再生・復活の儀式とされています。すなわち、アメノワカヒコは死にアヂスキタカヒコネは迦毛大御神としての復活するのです。「大御神」という最上位の待遇で称されているのです。
阿遅志貴高日子根神(アジスキタカヒコネ:高日子根)が迦毛大御神(カモの大神)とされるのは、高日子根こそがミマキイリヒコ(崇神天皇)なのではないでしょうか。
アメノワカヒコ(天若日子、天稚彦)は建甕槌(タケミカヅチ)です。国譲りで南方刀美神(タケミナカタ)を追いやった建甕槌(タケミカヅチ)は大和(邪馬台国)の頂点にたちました。
武埴安彦命は建甕槌!! では建甕槌が大和朝廷のトップであることが好ましくないと思っている中臣氏の祖である天児屋根命 が建甕槌を打ち取ってしまおうと作戦をねります。と書きました。ミマキイリヒコを担いでクーデターを起こしたというのがこの話の真相ではないでしょうか。前号でふれました「出雲王国とヤマト政権」と「出雲と蘇我王国」によりますと、大国主命と事代主命が、両者ともアメノホヒ勢力に拉致されるという大事件が勃発し、大国主命は、猪目洞窟(出雲市猪目)、事代主命は、弓ヶ浜の粟島(米子市彦名町)に幽閉され枯死したとのことですが、これは建甕槌がひっそりと殺害されてしまったということだとすると合点がいきます。
中臣氏が代々春日神社で建甕槌を祀るのは建甕槌の祟りを恐れたからだと思います。
天若日子は穀物神として安孫子神社(滋賀県愛知郡秦荘町)、下照姫の配神として売布神社、倭文神社などに祀られていますが、全国的に祀る神社はあまりありません。
関連項目:今迦毛大御神と天若日子
※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。
※これまでの記事はこちらです。
邪馬台国 家系図
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