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天道根命は道祖神=ウツシコオ

更新日:6月6日

第335話


天道根命(あまのみちねのみこと)は、古代日本の豪族で初代紀国造です。

私は、この名前を見ただけでこの人物がウツシコオであることが、分かってしまいました。なぜなら道はウツシコオの代名詞だからです。


鹽竈神社縁起に「塩釜六所明神或曰猿田彦事勝國勝塩土老翁岐神興玉命太田命六座同体異名神也」、猿田彦=事勝國勝=塩土老翁=岐神=興玉命=太田命=六座同体異名神とあります。


猿田彦は天孫降臨の際に道案内をしたということから、道の神、旅人の神とされるようになり、道祖神と同一視された。そのため全国各地で塞の神・道祖神が「猿田彦神」として祀られています。珍彦(うずひこ)、塩土老翁、うず彦(椎根津彦)~浦島太郎、住吉の三筒男もすべて道案内人です。住吉の神はウガヤフキアエズのミコトです。


そう思って下記の文をお読みください。下記は天道根命 - Wikipediaよりの引用です。


天道根命~官位:木国造、主君:神武天皇、氏族:紀君祖、父:不明(彦狭知命?)


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彦狭知命:ヒコサチ、ヒコユキは物部の祖でこのプログではウツシコオとして何度も登場しています。ヒコサチは紀ノ國(木の国)の名草の出身です。

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事跡

先代旧事本紀、天神本紀によれば高天原から葦原中国へ降臨する事となった饒速日尊の護衛として付き従った32神の1柱で、同書国造本紀や紀伊国造家が伝える国造次第によれば神武天皇によって初代の紀伊国造に任じられた。


異伝として紀伊続風土記所載の「国造家譜」は、日前大神と国懸大神(紀伊国造が奉斎する和歌山県和歌山市秋月鎮座の日前宮の祭神)の降臨に随従して以後両大神に仕え、後に神武天皇の東征に際して両大神の神体である日像鏡と日矛の2種の神宝を奉戴して紀伊国名草郡に到来し、即位後の天皇によって論功行賞として紀伊国を授かるとともに国造に任じられ、以来その子孫が国造職を襲うとともに日前宮を奉斎し続けることとなったとの由来を記す。


紀伊国造系図によれば、天道根命は天照大神の天岩戸隠れに際して石凝姥命によって鋳造された日像と日矛の2種の神宝を高天原の神々から託され、高天原においてこれを天照大神の「前霊(さきのみたま)」として奉斎していたが、天孫降臨に際して天照大神から三種の神器とともにこの2種の神宝を聖なる鏡、聖なる矛として授かった天津彦彦火瓊瓊杵尊に随従して同尊とともに日向に降臨、降臨後も引き続いてこれらを奉斎していたが、


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思金大神(ウツシコオ)は、天地開闢のはじまりに現れた造化三神の一柱・タカミムスビノカミ(高皇産霊神:高木神)の子で、生まれながらの知恵者です。天照大神の臣の最上位である左の臣を拝命し、遷都の采配を任され、神代の教えを説かれました。 

最も有名な話では、岩戸隠れの際に、天の安原に集まった八百万の神に天照大御神を岩戸の外に出すためにアマテラスの姿を映すを作るなど。知恵を授けたこととされています。国譲りでは、葦原中国に派遣する神の選定を行っています。

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降臨と東征

天道根命の降臨について、降臨の主体を天津彦彦火瓊瓊杵尊とするか饒速日尊とするかで説が分かれる。田中卓氏はその最後者(饒速日尊随従説)に注目し、天道根命が意に沿わない日像鏡を奉じて饒速日尊に随従した事になり、そこには神武天皇以前に饒速日尊による東征が行われた事、饒速日尊による東征の史実が後世において「降臨」という形で伝承されたものであろうと説く。


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ウツシコオは孝元天皇=饒速日の宰相です。

神武天皇は饒速日で、八咫烏(ヤタガラス)はウツシコオです。

八咫烏(ヤタガラス)も道案内人です。


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記紀の作者たちは、500年前の記事を書いています。残された資料はおそらくイカガシコオが書いた資料しかありません。その資料はイカガシコオの父であるウツシコオの関連の記事でばかりであることは間違いないでしょう。

当時の日本で文字を読める人物はほとんどおらず、ましてや歴史書などをかける者などいるはずがありません。イカガシコオは偉大な父の実績を残しておきたかったのでしょう。


記紀の作者たちは、それではまずいので、ウツシコオを様々な別の人物として再構成したのです。参照~第297話:ウツシコオの名前についての弁明

      第116話:古事記・日本書紀とQ資料


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

※これまでの記事はこちらです。


<目次>



神武天皇と八咫烏



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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
Jun 01
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秀丸 遠嶽
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