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tootake

孝元天皇と家族たち

更新日:4月30日

第34話


孝元天皇~第八代:オホヤマトネコ・ヒコ・クニクル 

墓は椿井大塚山古墳(京都府木津川市山城町椿井):古代の高速道木津川を活用

父親は、孝霊天皇(黒田宮):奈良盆地湖を活用

后は欝色謎命(ウツシコメ:ウツシコオの姉)、伊香色謎命(イカガシコメ)、埴安媛(ハニヤス姫)

子は開化天皇(崇神の父)、大彦、少彦男心命、武埴安彦命


ハニヤス姫~河内青玉繋の子で吾田媛(あがたひめ)~河内の青玉(※下記参照)

上垣内憲一先生によると、ハニヤス姫は阿田姫(アタ姫)で奈良県五條市の一族 

アタ族は、紀の川の水運業、葛城の銅山を支配している一族。神武の最初の妻アタ姫ではないかと推察されています。参照:吾田媛の戦い~タケハニヤスの妻


大彦の活躍で、タケハニヤス、ハニヤス姫は殺されてしまいます。

前回で卑弥呼とされるイカガシコメが、開化天皇の后になったは、このときではないでしょうか? 孝元天皇は、このころに崩御しています。

ミ・マキ入彦(崇神)もこの時、大彦の娘の御牧姫(ミマキ姫:五十鈴姫)に、イカガシコメの連れ子として、大和朝廷に入ったと考えられます。入彦は入り婿のことでしょう。

全てウツシコオの采配です。イカガシコメはウツシコオの娘です。


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ついでに、大彦の弟の少彦男心命の名前に引っ掛かりました。


大彦と少彦、これはオオナムチ(大国主)と少名彦(スクナ彦)すなわち、オオナモチ(大名持ち=大穴持ち)と少名持ち(スクナ彦)の名前の法則と合致します。


少彦男心命はスクナ彦でしょう。大彦は大国主? だとすると孝元天皇はタカミムスビ=ウツシコオということになります。古事記では少彦名命は神産巣日神(かみむすびのかみ)の子とされているからです。


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その後、検討した結果、孝元天皇は、饒速日であると確信しました。

大彦は、饒速日(孝元天皇)の長男、高倉下と同一人物です。


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※河内の青玉~アイオライト 大阪府柏原市(橿原ではない)

宝石としてはアイオライト(iolite:菫青色)とよばれる。色は名のとおり青みを帯びた菫色で、サファイアに似ていることからウォーターサファイア(water sapphire)ともよばる。



※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

※これまでの記事はこちらです。


<邪馬台国の新常識>


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