第34話
孝元天皇~第八代:オホヤマトネコ・ヒコ・クニクル
墓は椿井大塚山古墳(京都府木津川市山城町椿井):古代の高速道木津川を活用
父親は、孝霊天皇(黒田宮):奈良盆地湖を活用
后は欝色謎命(ウツシコメ:ウツシコオの姉)、伊香色謎命(イカガシコメ)、埴安媛(ハニヤス姫)
子は開化天皇(崇神の父)、大彦、少彦男心命、武埴安彦命
大彦は、腹違いの弟である武埴安彦命(タケハニヤス)を打ち取りました。
ハニヤス姫~河内青玉繋の子で吾田媛(あがたひめ)~河内の青玉(※下記参照)
上垣内憲一先生によると、ハニヤス姫は阿田姫(アタ姫)で奈良県五條市の一族
アタ族は、紀の川の水運業、葛城の銅山を支配している一族。神武の最初の妻アタ姫ではないかと推察されています。参照:吾田媛の戦い~タケハニヤスの妻
大彦の活躍で、タケハニヤス、ハニヤス姫は殺されてしまいます。
前回で卑弥呼とされるイカガシコメが、開化天皇の后になったは、このときではないでしょうか? 孝元天皇は、このころに崩御しています。
ミ・マキ入彦(崇神)もこの時、大彦の娘の御牧姫(ミマキ姫:五十鈴姫)に、イカガシコメの連れ子として、大和朝廷に入ったと考えられます。入彦は入り婿のことでしょう。
全てウツシコオの采配です。イカガシコメはウツシコオの娘です。
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ついでに、大彦の弟の少彦男心命の名前に引っ掛かりました。
大彦と少彦、これはオオナムチ(大国主)と少名彦(スクナ彦)すなわち、オオナモチ(大名持ち=大穴持ち)と少名持ち(スクナ彦)の名前の法則と合致します。
少彦男心命はスクナ彦でしょう。大彦は大国主? だとすると孝元天皇はタカミムスビ=ウツシコオということになります。古事記では少彦名命は神産巣日神(かみむすびのかみ)の子とされているからです。
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その後、検討した結果、孝元天皇は、饒速日であると確信しました。
大彦は、饒速日(孝元天皇)の長男、高倉下と同一人物です。
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※河内の青玉~アイオライト 大阪府柏原市(橿原ではない)
宝石としてはアイオライト(iolite:菫青色)とよばれる。色は名のとおり青みを帯びた菫色で、サファイアに似ていることからウォーターサファイア(water sapphire)ともよばる。
参照:安寧天皇は河内青玉繋!?
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
※これまでの記事はこちらです。
<邪馬台国の新常識>
<大彦>
天香語山命~大彦も五伴緒のメンバー
大彦
大彦は、高倉下~新潟県西蒲原郡弥彦村
大彦の北陸道遠征
大彦~メスリ山古墳: 桜井市
大彦は、綏靖天皇~タケハニヤスの乱4
大国主は、大彦 ~出雲は三島
<卑弥呼>
卑弥呼は名草トベ~和歌山市
卑弥呼は萬幡豊秋津師比売
卑弥呼はイカガシコメ??
<ウツシコオ(内色許男命)=大綜麻杵(オオヘソキ)>
ウツシコオは難升米ではなかった?
八咫烏の真実~ウツシコオ陰謀の始まり
ウツシコオは魏志倭人伝に登場する難升米
<饒速日>
饒速日は大阪府茨木市出身
星の降る町~速玉は饒速日
伊都国 一大率は五十猛(饒速日)
孝元天皇は五十猛!~椿井大塚山古墳
五十猛の九州征圧
神功皇后と五十猛
饒速日が死んだ!~ウツシコオの陰謀
孝元天皇と家族たち
饒速日はスサノオの子
<五十鈴姫=媛蹈鞴五十鈴媛=富登多多良伊須須岐比売命(ホトタタライスズキヒメ>
ミマキ姫は、五十鈴姫~茨木市五十鈴
とよ(五十鈴姫)~桜井、豊中