top of page
  • tootake

孝昭天皇は台与:日原は目原

更新日:3 日前

第443話 #孝昭天皇 #台与 #日原神社 #天日腹大科度美神


第5代孝昭天皇の名前は観松彦香殖稲天皇(みまつひこかえしねのすめらみこと)です。

大山元氏(*1)によると、香殖稲の「香」は「天日」、「殖」は「腹」と同じ字であるとみなすと天日腹大科という名前が出現します。


天日腹大科度美神(アメノヒバラオオシナドミ)は古事記にのみ登場する大国主神の8世孫です。事績に関する記述は特にありませんが、舞鶴市字女にある日原神社の社伝(丹後国加佐郡女布村日原神社御旅所略縁起)では日原で誕生したとされています。


「日腹」は地名とされており、日原・檜原の両説があります。前者については出雲風に日原社があり、後者には万葉集に「巻向の檜原の山」、「泊瀬の檜原」、「三輪の檜原」などのがあります。また「科度」は息長処(風の吹き起こるところの意)という説と、坂処(坂になったところの意)という説があります。そして「美」は女性を表す接尾語とする説と美称を示す接尾語とする説があります。


雲南市大東町にも日原神社はありますが、出雲の神社はすべて後世にでっち上げられたものです。京都府舞鶴市女布にある日原神社の祭神は天日腹大科度美神とも、日臣命とも伝えられています。大科度美神は大国主命の裔、若昼女神(若ヒルメ)を母神としています。因みにヒルメは卑弥呼で若ヒルメは台与のことです。


日原神社の所在地である「女布(メフ)」は熊野郡久美浜町に同じ地名があり、式内社の売女(ヒメ)神社があり、更に竹野郡網野町にも同名の神社があり、ここは旧和田上野村字女布谷(メフタニ)である。この地方ではヒメフ・メブなどと呼称し、この売女(ヒメ)の神の系統は山陰道に点在しています。この辺りの地名は女(メ)であったことがうかがわれ、天日腹大科度美神は女性である台与で可能性が大です。丹後・丹波・但馬はウツシコオ(内色許男命)スサノオの治める地域です。


女布がメブ・ミブ・ニフ・ニュウなどの日原神社は本来はメハラ神社であるはずです。

目原が、日原と書かれたため 「ひはら」となったようなのです。日は目の誤植(*2)です。


女布(にょう)*と丹生(にゅう)という地名は丹後や但馬にも多く、祢布と書いて「にょう」と読むちめいもあります。「にょう」とは辰砂を産出する水銀鉱床群の分布する地域のことです。朱の原料は、天然の赤鉄鉱を砕いた鉄丹(ベンガラ)は縄文早期、同じく辰砂を砕いて得る水銀朱、他に鉛丹等が主な原料です。辰砂は硫化水銀である。常温で液体の水銀は、天然に存在しますが、多くは辰砂を製錬します。朱は、活力と蘇生、死との対決、死霊封じ、太古の人々の朱は呪術具です。道主命と摩須郎女の娘・比婆須比売は須田の砂鉄王国を受け継いだ女王です。道主命はウツシコオ、比婆須比売は台与です。


・女布(にゅう)は西舞鶴の南部。高野川支流・女布川の上流、千石山東麓に位置しています。古くは禰布と記した。ニヨオは、アイヌ語の村の意ともいいます(加佐郡誌)。


・売布神社も所在地が女布で「ひめふ、めふ」神社と呼ばれていますが、元々は「みょう・にょう」としていたとも思われます。この神社の川下に御旅所の「下森神社」が鎮座し、その付近は「女布遺跡」の地で、縄文期からの遺跡であり、西舞鶴発祥の地とも言われています。南向かいの山上には金峰神社があり、その奥宮に禰布神社があります。


・日原神社の祭神は、天日腹大科度美神・倉稻魂 という説と 日臣大神という説の2つがあります。天日腹大科度美神(あめのひはらおほしなどみのかみ)は大国主神の子孫にあたり、古事記にしか登場しません。一方の、日臣大神とは、大伴連の祖先、はじめは日臣命(ひのおみのみこと)、後に道臣命(みちのおみのみこと)と呼ばれています。道臣命は猿田彦=ウツシコオです。参照: 天道根命は道祖神=ウツシコオ 天御中主神:北斗:妙見

舞鶴市史には、日臣命は高魂命の裔として大伴氏の遠祖であると書かれています。高魂命とは高御産巣日神(たかみむすびのかみ:高木神)=ウツシコオ(内色許男命)のことです。

つまり、天日腹大科度美神・倉稻魂は台与、日臣大神はウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王で間違いないでしょう。


(*2)「日原」は本来「目原」です

雲南市大東町にある日原神社でも、ここがヒバラノカミの生誕地とありますがメハラではなくヒバラとしている時点で嘘がばれています。

巻向の檜原の山、泊瀬の檜原、三輪の檜原も同様で京都府舞鶴市女布:丹後国加佐郡女布村日原が目原であることを知らないということなので、丹後国加佐郡女布が最も古いことが分かります。台与とウツシコオのコンビは、丹後=但馬から山代=巨椋池(邪馬台国)に来たことは海部氏の系図である勘注系図でも明らかです。参照:台与の物語


※大目は大日:菊理媛神~大目は大日(守口市)では、十市県主大目の娘。十市県主祖の真舌媛と書かれています。つまり宗像三女神の市杵島姫神(イチキシマヒメ)は真舌姫です。味舌姫の父とされる十市県主の祖の「大目」です。記紀ではここでしか登場しませんし、そんな地名は日本中探してもありません。三島から淀川をほんの少し下った所に「大日」という地名があります。大阪府守口市です。「大目」は「大日」ですが今回の記事から、実は大日という地名はかつて「大目」であった可能性も有ります。


(*1)~大山元氏はアイヌ語の独習を始める。アイヌ語で解読できる記紀、風土記の記事の数々を発表しておられます。



                         ※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 



<目次>








閲覧数:73回2件のコメント

最新記事

すべて表示

2 Comments

Rated 0 out of 5 stars.
No ratings yet

Add a rating
秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
2日前
Rated 5 out of 5 stars.

天香具山社

このあたりでは良質の陶土が採取できたということから、それに因んで「天香具山社」が祀られたという。「それに因む」というのは、天香具山は古来より神聖なる陶土の採取場所だからだ。


龍王社

檜原神社|三輪山を遥拝する元伊勢とも呼ばれる神社。三輪の大物主大神と檜原の天照大神の関係は?

檜原神社(ひばら)は、山辺の道を大神神社から北へ1.5kmほどの三輪山麓に鎮座す ...


Like

bottom of page