第361話
またまた、気になり人物を見つけてしまいました。宇都志国玉神(うつしくにたまのかみ)と宇都志日金拆命(うつしひかなさくのみこと)です。
両者とも「宇都志:うつし」はこの世・現実の意であるとしていますが、ウツシコオ(内色許男命)として検証してみます。
〇宇都志国玉神(うつし・くにたまのかみ)は、大国主神の別名です。
くにたま(国玉)は国土の神霊の意とされ、国土には神霊が坐す信仰があったとみる説があり、大国玉神社・国玉神社は諸国にみられます。
宇都志国の「玉」は「主」、「王」の書き間違えという説があり、須佐之男命の系譜では「宇都志国玉神」と表記されているが、梗概の場面では「宇都志国主神」と表記されているものがあります。
私は、すでに第334話:大彦は、五十猛!
でウツシコオは大彦としています。大彦=大国主=五十猛=ウツシコオです。
〇宇都志日金拆命(うつしひ・かなさくのみこと)は綿積豊玉彦神(わたつみ)の子とされ、安曇氏、安曇犬養氏、海犬養氏の祖とされています。別名は穂高見命(ほだかみのみこと)です。
第314話:海人族~ワタツミでは、阿曇磯良(安曇磯良:あづみのいそら)は安曇氏(阿曇氏)の祖神とされています。「磯」と「渚」は共に海岸を指すことから阿曇磯良は豊玉毘売命の子で、日子波限建(ヒコナギサタケ:鵜葺草葺不合命の別名)と同神であるとする説があり、また、※八幡愚童訓では、磯良は春日大社に祀られる天児屋根命と同神であるとしています。天児屋命はウツシコオ!! (第349話)です。
佐久郡の地名由来として、宇都志日金拆命が開拓したので「拆(サク)」となったという説があります。穂高岳に降臨し、信濃国の安曇氏の祖となったともされています。
かなさく「金析」は、刀剣にまつわる石析神・根析神の名から推すと刀剣に縁のあるものと、また海神が蛇体であることにも通じるかとする説や、類聚名義抄の「縋」にカナサクの和訓があることから、網かがりの意とし、阿曇連が海人で網を用いる人であると捉えて、その祖がすなわち網をかがる人、編む人でこの神名になったとする説があります。
そういえば香山命(あめのかごやまのみこと)=大彦も、日本海を渡り、弥彦山西側にあたる野積海岸(現長岡市)に上陸され、住民に海水から塩を作る方法や、網や釣針を使った漁法を教え、その後この弥彦の地に鎮座され、農耕技術など様々な産業の基礎を授けたと伝えられています。
「かなさく」は、阿曇連に関わりのある「志賀の皇神」が詠まれた万葉集:歌(7・1230)に見える「金の岬(かねのみさき)」(筑前国宗像郡の北端の鐘崎)の地名とする説もあります。阿曇氏の拠点のひとつとして筑前国糟屋郡阿曇郷があり、「志珂郷」(志賀島)に阿曇氏が綿津見三神を祭る「志加海神社」(今の「志賀海神社」)があることと関連づけて、金印の出土した志賀島の「叶の崎」が「金の崎」の意であるとし、そこからこの神名を読み解き「宇津志日」を「現シ霊」、「金拆」を「金(の)崎」として叶の崎に斎き祀られた金印*が神霊として現し世に姿を示したものとして、海神本来の漁撈神的性格と異なった側面を持つと見る説があります。
*志賀島からは、甚兵衛という志賀島の農民が田んぼを耕している最中に金印(漢委奴国王印)が偶然発見されています。
ということは、宇都志日金拆命(うつしひ・かなさくのみこと)は、信州の安曇野から九州志賀島にいたる広範囲を行き来していたことになります。邪馬台国の時代にはヤマト国家は日本をほぼ手中にしていたようです。
ウツシコオ(内色許男命)が金印と関係がある可能性は非常に高いと思われます。
後漢書に「建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬」
という記述があり、後漢の光武帝が建武中元2年(57年)に奴国からの朝賀使へ(冊封のしるしとして)賜った印が金印(漢委奴国王印)相当するとされています。ウツシコオの一族の祖先が志賀島にいたのでしょう。
第337話:阿多賀田須命~宗像氏 第312話:宗像氏はタケミナカタ!では、タケミナカタ=阿多賀田須命=宗像氏=ウツシコオとしています。
{参考文献}
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
※これまでの記事はこちらです。
<目次>
ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)
椿井大塚山古墳 (hidemaru3375.com)
<邪馬台国の新常識>
ウガヤフキアエズのミコト
邪馬台国の誕生
徐福伝説と「呉の勝」
日向は大阪府守口市
櫛名田比売2~八雲は守口市
ウツシコオの名前についての弁明
多氏と長脛彦
饒速日と長脛彦
<河川は古代の高速道路>
市寸島比売は厳島!~広島・三島 )
真舌媛は、宗像三女神!~三島(茨木市)
全ての道は三島に通じる。
<欠史八代の天皇の正体>
素戔嗚(スサノオ)は、孝霊天皇
丹・朱を求めた天皇たち
<大彦>
大国主は、大彦
大彦
大彦は、高倉下~新潟県西蒲原郡弥彦村
大彦の北陸道遠征
大彦~メスリ山古墳: 桜井市
大彦は、綏靖天皇~タケハニヤスの乱4
大国主は、大彦 ~出雲は三島
<卑弥呼>
卑弥呼は名草トベ~和歌山市
卑弥呼は萬幡豊秋津師比売
<ウツシコオ(内色許男命)=大綜麻杵(オオヘソキ)>
ウツシコオは難升米ではなかった?
ウツシコオは魏志倭人伝に登場する難升米
八咫烏の真実~ウツシコオ陰謀の始まり
<饒速日>
饒速日は大阪府茨木市出身
星の降る町~速玉は饒速日
伊都国 一大率は五十猛(饒速日)
孝元天皇は五十猛!~椿井大塚山古墳
五十猛の九州征圧
神功皇后と五十猛
饒速日が死んだ!~ウツシコオの陰謀
孝元天皇と家族たち
饒速日はスサノオの子