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家津美御子(けつみみこ)~熊野

更新日:2023年11月5日

第107話


和歌山県の熊野三山は家津美御子(けつみみこ)、速玉、牟須美の三社です。

熊野坐大神(家都美御子大神:本宮)は、須佐之男命とされていますが、その素性は不明です。八咫烏をシンボルとしています。家都美御子大神については他にも五十猛神(イタケル)や伊邪那美神(イザナミ)とする説もあり素性は不詳です。


一方、伊邪那岐命(イザナキ)と伊邪那美命(イザナミ)の国産みの場面で伊予之二名島(四国)の中の阿波国の別名としてオオケツヒメ(大宜都比売)の名前が登場します。(古事記) 

オオゲツヒメ(大宜都比売)は、大気都比売神、大宜津比売神、大気津比売神は食物の女神です。ケツの”ケ”が食物という意味です。熊野三山の家津美御子もケツで食物の神です。


さらに出雲の熊野大社の祭紳は櫛御気野命(クシミケヌ)で和歌山の熊野の家都美御子(ケツミミコ)と同じ神だと思われます。そして前号での述べたように、神武の兄とされる三毛入野は熊野三山の家津美御子(”ケ”ツミミコ)、出雲の熊野の櫛御気野命(クシミ”ケ”ヌ)と同じ神(=同じ人物)と思われるのです。前回の後期で述べた三毛入野も御食入野と表記すればその関係性が疑われます。さらに神武のもう一人の兄(三毛入野のすぐ上の兄)は稲飯命 (いないのみこと)で食べ物と関係のある名前なのが気になります。


熊野三山では家津美御子が本宮で、速玉は新宮です、牟須美(フスミ)は那智大社です。

本宮の家津美御子は三毛入野、新宮の速玉は饒速日、那智の牟須美(フスミ)はフスマやムスヒ(産霊)で天之御中主神(あめのみなかぬし)。つまり那智の牟須美は素戔嗚(スサノオ)だと思います。


なお家津美御子を祀っている神社の千木の形が、「内削ぎ」(水平に削る)であることから家津美御子は女神だとされていますが、鰹木の数が奇数なら男神、偶数なら女神を祀っているという説と同じで全くの俗説です。神社によっては、外削ぎの千木と内削ぎの千木が同じ社殿に両方ついた神社もあります。


熊野三山の近くには、熊野信仰の元になったと思われるゴトビキ岩があります。その場所は神倉神社で熊野速玉大社の摂社とされていますが、元宮であるのが正しいとされています。

祭紳は高倉字(タカクラジ)です。なお、出雲の熊野大社の近くには、銅鐸が大量に出土した加茂岩倉遺跡があります。


五瀬命と三毛入野が、饒速日・高倉字(大彦)と戦った名残が熊野三山ではないでしょうか。


長脛彦の妹は三炊屋媛(ミカシキヤヒメ)で、やはり食べ物を連想させる名前です。

長脛彦は三毛入野だったのでしょうか。饒速日(五十猛)に降伏して妹を差し出したとすれば話がつながります。三炊屋媛から生まれたのが高倉字の弟のウマシマジ(オトクラジ)です。



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<追記>


ふと思いついたのですが、大屋津比賣命(オオヤツヒメ)という女神がいます。

海部氏系図では、始祖彦火明命(饒速日)は大屋津姫を娶り高倉下を生んだと記述されてます。オオケツヒメ(大宜都比売)はオオヤツヒメと名前がよく似ています。


オオヤツヒメ・ツマツヒメは、樹木の女神です。日本書紀では父は素戔嗚尊で、兄は五十猛命と記されています。五十猛命と共に素戔嗚尊の命により全国の山々に木種を撒き、紀伊国(現在の和歌山県)に戻って住んだとされています。こちらの説も捨てがたいですのでさらに検証してみたいと思います。


神倉神社は、熊野大神が熊野三山として祀られる以前に一番最初に降臨された聖地です。天ノ磐盾という峻崖の上にあり、熊野古道中の古道といわれる五百数十段の仰ぎ見るような自然石の石段を登りつめた所に御神体のゴトビキ岩があります。


写真はゴトビキ岩(神倉神社)

※これまでの記事はこちらです。このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。

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tootake
Oct 01, 2023
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