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底・中・表筒男命~住吉大社

更新日:4月9日

第112話


大阪にある住吉大社は、海上交通の守護神として知られています。日本書紀の神功皇后紀には、鎮座した筒男三神の言に「往来船(ゆきかよふふね)を看(みそこなは)さむ」とあり、当時には三神を航海守護神とした認識が認められます。


住吉大社(すみよっさん)では底筒男命(そこつつのお)、中筒男命(なかつつのお)、表筒男命(うわつつのお)を祀っています。ところで水上交通の守り神といえば、宗像三女神です。沖津宮の田心姫神(タゴリヒメ)、中津宮の湍津姫神(タギツヒメ)、辺津宮の市杵島姫神(イチキシマヒメ)です。


住吉さんでは、同じ三人の守り神ですが、女神から男の神に替わっています。住吉三神は筑紫大神であり、元々は筑前の那の津(現博多湾)の地主神・守護神であったのを、三韓征伐後に分祀し、荒魂を長門の住吉神社に、和魂を当社に祀ったものだったのを、難波の発展に伴ってヤマト王権の外港の守護神に発展したと考える説があります。第四本宮では神功皇后が祀られています。


福岡県の志賀島にある志賀海神社は、綿津見三神(わたつみさんしん)を祀っています。

仲津綿津見神、底津綿津見神、表津綿津見神の三神の他に、応神天皇、神功皇后、玉依姫命も祀られています。社伝では、古くは志賀島の北側、勝馬浜において表津宮(うわつぐう)・仲津宮(なかつぐう)・沖津宮(おきつぐう)の3宮から成っていたが、阿曇磯良(あずみのいそら:阿曇氏祖)により、そのうち表津宮が志賀島南側に遷座して現境内となったといいます。阿曇磯良は、神功皇后の新羅出征において舵取りを務めたとも伝えられています。


古代の九州北部では、海人を司る阿曇氏(安曇氏)が海上を支配したとされ、志賀島は海上交通の要衝であり、その志賀島と海の中道を含めた一帯 が阿曇氏の本拠地であったとされており、志賀海神社は阿曇氏の中心地であったと考えられています。現在も志賀島の全域は神域とされています。阿曇氏は日本全国に展開したといわれ、長野県安曇野市、石川県羽咋郡志賀町、滋賀県安曇川、愛知県渥美半島といった「しか」・「あつみ」という地名は、その遺称地です。


伊邪那岐命と伊邪那美命は国生みの神として大八島を生み、またさまざまな神を生んだが、伊邪那美命が火之迦具土神を生んだときに大火傷を負い、黄泉国(死の世界)に旅立った。その後、伊邪那岐命は、黄泉国から伊邪那美命を引き戻そうとするが果たせず、「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」で、黄泉国の汚穢を洗い清める禊を行った。このとき、瀬の深いところで底筒之男神が、瀬の流れの中間で中筒之男神が、水表で上筒之男神が、それぞれ生まれ出たとされています。


宗像三女真は九州の神様と思われていますが、実は三島(大阪府茨木市)の出身です。


住吉系の神社は、応神天皇、神功皇后、玉依姫命を祭っていることから、邪馬台国の時代よりも120年くらい後のものです。安曇氏の祖と云われる磯武良(いそのたける、いそたけら、安曇磯良)も五十猛と発音が同じで元々は木の国の名草(なぎさ)の出身と思われます。


大綿津見神(わたつみのかみ)は、イザナギとイザナミによる神産みの、家宅六神の次に生まれた「海の神」で、その最初に生まれた海神が大綿津見神です。

 綿津見豊玉彦の孫に日子波限建鵜草葺不合命(ひこなぎさたけうがやふきあえず)がいますが、「なぎさたけ」と「いそたける」は同じ意味になります。「なぎさ:渚」は名草のことです。安曇氏の祖と云われる磯武良(いそのたける、いそたけら、安曇磯良)も五十猛と発音が同じです。五十猛彦は饒速日! (hidemaru3375.com)


安曇は、「あまつみ」 「あま」は海のこと、元々は海の仕事に携わる人、漁業と操船航海技術によって朝廷に仕えていました。


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<追記>


椿井大塚山古墳からは、漁具は、鉄銛十数本、鉄ヤス数本、鉄製釣針1本が出土しています。古墳の近くに舟戸という地名があり、以上のことから当古墳の被葬者は船舶の管理者であり、津(港)の管掌者:あまつみ「海神津見」です。やはり、この古墳は鴨王=ウズヒコ=ウツシコオの墓と思ってもよさそうです。鴨王!邪馬台国に進出 (hidemaru3375.com)


※これまでの記事はこちらです。このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。



※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。 

※これまでの記事はこちらです。






住吉大社


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tootake
2023年10月20日
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 「高良玉垂宮神秘書」の高良玉垂命とは、住吉三神のことを表しており九躰皇子とは、武内宿禰(鏡山 表筒男) 中臣鳥賊津(中筒男 崇神天皇) 阿部保蓮(底筒男 開化天皇)三人の子供達のことを云っていることは、「高良玉垂宮神秘書」を読んでも明らかです。  高良大社と宇佐八幡宮の関係は、第二八一条 「九州の宗廟の司を譲る 高良 九州のこと 天平勝宝元年牛巳 宇佐八幡宮建立により高良 九州の宗廟の司を譲った。」とあるように宗廟の司を譲った関係にあります。  今回の宇佐八幡宮の若宮神社の木像五体は、「記紀」の皇子に見立て住吉三神の九躰皇子の五皇子を表していると考えても差し支えないように考えられます。


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tootake
2023年10月08日
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