第280話
タケツノミ(賀茂建角身命)の別名には八咫烏、八咫烏鴨武角身命(やたからすかもたけつのみのみこと)です。賀茂御祖神社(下鴨神社)の祭神です。
神武東征の際、八咫烏に化身して神武天皇を先導したとされています。
賀茂建角身命には玉依日子(たまよりひこ)と玉依日売(たまよりひめ)の2柱の御子神がいます。玉依日売は、丹塗矢に化身した火雷命(ほのいかづちのみこと)を床の近くに置いていたところ、可茂別雷命(かもわけいかづちのみこと、上賀茂神社の祭神)を懐妊し出産したとされています(山城国風土記)。ということは、可茂別雷命は賀茂建角身命の孫です。
タケツノミの孫である賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)は、上賀茂神社の祭神です。古事記と日本書紀には登場せず、室町時代の賀茂之本地ではアジスキタカヒコネ(阿遅鉏高日子根神)と同一視されています。
これまでこのブログで様々な検証をしてきました。タケツノミこそがウツシコオです。
玉依日売は玉櫛姫=ミホツ姫(美穂津ではなは御保津が正解)です。賀茂別雷命がアジスキタカヒコネ(阿遅鉏高日子根神)だとするとミマキイリヒコということになります。
古事記の国譲りでは高皇産霊尊(ウツシコオ)は大物主神(この場合は大国主=大彦)に「もし国神を娶れば、お前には謀反の心があると思ってしまう。だから、私の娘の三穂津姫(みほつひめ:御保津姫)をお前の妻とさせたい。とあり大彦に自分の娘の玉依日売=玉櫛姫=ミホツ姫を嫁がせできた子がミマキイリヒコ(崇神天皇)=賀茂別雷命がアジスキタカヒコネという流れが見えてきます。しかしこの流れはあまりにもすんなりしすぎているのです。ミマキイリヒコ(崇神天皇)が大彦(開化天皇? ) であれば大王の血筋は正当で何の問題もありません。国譲り再考
国譲りの物語を創作する必要がないのです。上記のすんなりとした流れにはいくつか疑問点があります。ミマキイリヒコの后のミマキ姫も大彦の子です。つまり兄弟となってしまいます。ミマキイリヒコの母はイカガシコメですが、イカガシコメは開化天皇の后であり、孝元天皇の后でもあるのです。
私はミ・マキ・イリ・ヒコのイリは入り婿の意味ではないかと考えています。そしてその実態は菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)であるという妄想をいだいています。菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)
関連項目:八咫烏もウツシコオ
※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。
※これまでの記事はこちらです。
邪馬台国 家系図
<大彦>
天香語山命~大彦も五伴緒のメンバー
大彦
大彦は、高倉下~新潟県西蒲原郡弥彦村
大彦の北陸道遠征
大彦~メスリ山古墳: 桜井市
大彦は、綏靖天皇~タケハニヤスの乱4
大国主は、大彦 ~出雲は三島
<卑弥呼>
卑弥呼は名草トベ~和歌山市
卑弥呼は萬幡豊秋津師比売
卑弥呼はイカガシコメ??
<ウツシコオ(内色許男命)=大綜麻杵(オオヘソキ)>
ウツシコオは難升米ではなかった?
八咫烏の真実~ウツシコオ陰謀の始まり
ウツシコオは魏志倭人伝に登場する難升米
<饒速日>
饒速日は大阪府茨木市出身
星の降る町~速玉は饒速日
伊都国 一大率は五十猛(饒速日)
孝元天皇は五十猛!~椿井大塚山古墳
五十猛の九州征圧
神功皇后と五十猛
饒速日が死んだ!~ウツシコオの陰謀
孝元天皇と家族たち
饒速日はスサノオの子
<五十鈴姫=媛蹈鞴五十鈴媛=富登多多良伊須須岐比売命(ホトタタライスズキヒメ>
ミマキ姫は、五十鈴姫~茨木市五十鈴
とよ(五十鈴姫)~桜井、豊中
お多福さんと五十鈴姫
金屋子神は五十鈴姫