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彌彦神社~四拍手はハッタリ(2)

更新日:7月12日

第360話


前回:四拍手はハッタリ?! の続きです。


彌彦神社は越後平野西部の弥彦山(標高634m)山麓に鎮座し、弥彦山を神体山として祀る神社です。祭神は天香山命です。


彌彦神社の御創建について、社伝によると天香山命は越の国開拓の神業を終え、神劒峰(弥彦山)に葬られ、御子である第一嗣・天五田根命*が廟社を築き奉祀した事に始まるとされています。崇神天皇の時代に建諸隅命*が勅を奉じて社殿を造営し、御歴代の天皇の勅による社殿修造がなされ、第四十三代元明天皇和銅四年(711)には勅により神域の拡張と神戸及び神領の境を定めたと伝えられています。


*天五田根命~饒速日命の孫神、天香山命の子

建諸隅は丹波の大縣主で、尾張氏の当主です。建諸隅の本拠地は、現在の京都府京丹後市丹後町竹野とされてます。竹野という地名の由来は建諸隅(たけもろずみ)のタケです。尾張氏と海部氏の家系図は同じものでもともと同じ氏族とです。


彌彦神社は万葉集にも歌われる古社で、祭神の天香山命は越後国開拓の祖神として信仰されたほか、神武東征にも功績のあった神として武人からも崇敬されています。宝物館には日本有数の大太刀(長大な日本刀)である「志田大太刀(しだのおおたち、重要文化財)」や、源義家や源義経、上杉謙信(輝虎)などに所縁と伝えられる武具などが社宝として展示されています。


天香語山命は、高倉下の別名です。大彦は、高倉下~新潟県西蒲原郡弥彦村

天香語山命は、海部氏・尾張氏の祖とされています。


で今回の本題は、弥彦神社が、なぜ二礼四拍手一礼なのかです。

全国にある神社のうち、「4拍手」をするのは出雲大社、大分県宇佐市にある「宇佐神宮」そして新潟県弥彦村にある「弥彦神社」の三社だけです。私は他の神社と差別化し新たな権威付けをしたかったと思っています。前号:四拍手はハッタリ?!


私は、大彦については、今まで下記ののような記事を書いて来ました。


つまり私は、大彦は大国主と同一人物と思っているのです。だとすると出雲大社(杵築大社)と同じ作法でお参りするのは、当然かもしれません。


しかし、一般の人は天香山命=大彦=大国主ということを知らないはずです。

これでは、四拍手の説明になりません。


天香山命を祖とする尾張氏について調べて見ると、尾張氏は壬申の乱では海部氏に養育された大海人皇子へ私邸や資金を提供するなど全面的に支援し、彼の第40代天武天皇の誕生に格段の功績を上げています。持統天皇10年(696年)5月条に、尾張宿禰大隅が位階・功田を授けられる記事があります。続日本紀天平宝字元年(757年)によれば、この突然の恩賞授与の記事は、壬申の乱の功績によるものであるとされています。


上記の第四十三代元明天皇和銅四年(711)には勅により神域の拡張と神戸及び神領の境を定めたと伝えられています。とうまく年代があいます。


つまり彌彦神社の二礼四拍手一礼は金で買ったと、、、いや失礼しました。壬申の乱の功績によるものです。


二礼四拍手一礼になにか深い意味があるのでは、、と善男全女と思った時点で神社側の勝ちです。これがプラセボ効果です。



※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

※これまでの記事はこちらです。


<目次>





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