第363話~古代天皇は全員ウツシコオ=スサノオ
古事記、日本書紀はたった一人の男のことしか書いてないことに気づきました。そもそもこのブログは、邪馬台国が茨木・高槻・枚方であることを証明するために書いているのですが、なぜか毎回ウツシコオ(内色許男命)の記事になってしまうのです。スサノオ(津田の王)もウツシコオです。記紀は様々な人物をウツシコオとして書き分けていたのです。それが、ウツシコオが様々な名前を持つことの理由だったのです。そして数多いウツシコの中には彦(ヒコ)の付く名前が多いことに気付きました。大彦、弥彦、猿田彦、長脛彦、海幸彦・山幸彦、ヒコサチ、ヒコユキ、沙至比跪(サチヒコ)
彦(ヒコ)とは、ウツシコオのことではないのかと思い当たりました。だとすると欠史八代の天皇はすべてウツシコオです。
1)カムヤマトイワレ・ヒコ(神武)
2) カミヌナカハミミ(綏靖)だけは彦はなし。参照:大彦は、綏靖天皇
3) シキツ・ヒコ・タマテミ(安寧)
4) オホヤマト・ヒコ・スキトモ(懿徳)
5)ミマツ・ヒコ・カエシネ(孝昭)
6)オホヤマトタラシ・ヒコ・クニオシヒト(孝安)
7)オホヤマトネコ・ヒコ・フトニ(孝霊)
9)オホヤマトネコ・ヒコ・クニクル(孝元)
10)ワカヤマトネコ・ヒコ・オホヒヒ(開化)
記紀を良く調べれば、これらの天皇はみんな同世代の人物だということがわかります。そして后(皇后)はほとんどがとんど磯城県主の娘です。皇統譜の欠史八代がみごとに磯城氏から始まる十市、春日県主の系譜の中に収さまってしまいます。そのため、ウツシコオがそれぞれの天皇に自分の親族を后として朝廷に送り込んだとされていることから、ウツシコオはキサキ(木開)の宿祢とも言われています。が、それは大変な勘違いというよりも記紀が仕組んだのです。后については、氏素性というくらい氏族が大切なのですが、そもそも各氏族そのものがすべてウツシコオにたどり着いてしまうのです。
これまでに、忌部氏、物部氏、中臣氏、多氏、海部氏、三輪氏、尾張氏、阿部氏、などの祖はウツシコオだということが分かりました。参照:多氏と長脛彦 、忌部氏(彦幸)~和歌山・名草 、阿曇磯良は天児屋根 阿部(安部)氏~岸辺(吹田市)
邪馬台国の時代には、物部も中臣もなかったのです。
第349話:天児屋命はウツシコオ!! でやっとそのことが分かりました。
阿曇磯良は、日子波限建(ヒコナギサタケ:鵜葺草葺不合命:ウガヤフキアエズ)で天児屋根命だったのです。私は、海神族と天孫族は同一の一族と確信しています。海神族は呉の勝すなわちウガヤフキアエズの一族(多氏)=ウズヒコ(宇治彦)=ウツシコオ(内色許男命)で、天孫族(てんそんぞく)は、日本神話において降臨しヤマト王権をつくったとする古代勢力のことです。新撰姓氏録では天照大神などの子孫を神別の「天孫」としています
天照大神(ウツシコメ)とスサノオ(ウツシコオ)は姉弟です。
上記の欠史八代の天皇が全員がウツシコオであるという視点で記紀を読み返してみると見えてくるものがあります。例えば安寧天皇(シキツ・ヒコ・タマデミ)のタマデですが、これが浦島太郎の玉手(タマテ)箱との関連が見えてきます。ウツシコオは浦島太郎です。
志賀海神社(しかうみじんじゃ:福岡県福岡市東区志賀島)境内の鹿角堂(ろっかくどう)では、1万本以上ともいわれる多くの鹿の角が奉納されている。また「亀石(かめいし)」として、神功皇后による三韓征伐の際、阿曇磯良が亀に乗って皇后らの前に現れたという伝承に因んで後世奉納された霊石があります。阿曇磯良はウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)です。参照:第315話:阿曇磯良は天児屋根命
そして本当のウツシコオの名前はシマコであると思われるのです。根拠は、魏志倭人伝の記事です。
奴国の長官を兕馬觚(じまこ、じばこ)といい、副官は卑奴母離(ひなもり)という。二万余戸がある。
東南至奴國百里 官曰兜馬觚 副曰卑奴母離 有二萬餘戸— 『三国志』魏書東夷倭人
兕馬觚を「しまこ」とすれば奴國の官(王)はシマコ=ウツシコオです。
奴國は福岡県の博多あたりと思われます。私は九州一体もすでに大和朝廷(邪馬台国)であったと思っておりますので奴國もウツシコオ=スサノオの支配下にあったはずです。
==============================
第10代:ミマキ・イリ・ヒコ(崇神)
第11代:垂仁天皇(いくめいりびこいさちのすめらみこと)
第12代:景行天皇(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと
第13代:成務天皇(わかたらしひこのすめらみこと)
第14代:仲哀天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)
第15代以後の天皇には、彦はついていません。これが何を意味するのかこれから検証していきます。
関連項目:欠史八代はヤマト=三島
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
※これまでの記事はこちらです。
<目次>
<邪馬台国の新常識>
ウガヤフキアエズのミコト
邪馬台国の誕生
徐福伝説と「呉の勝」
日向は大阪府守口市
櫛名田比売2~八雲は守口市
ウツシコオの名前についての弁明
多氏と長脛彦
饒速日と長脛彦
<河川は古代の高速道路>
市寸島比売は厳島!~広島・三島 )
真舌媛は、宗像三女神!~三島(茨木市)
全ての道は三島に通じる。
<欠史八代の天皇の正体>
素戔嗚(スサノオ)は、孝霊天皇
丹・朱を求めた天皇たち
<大彦>
大国主は、大彦
大彦
大彦は、高倉下~新潟県西蒲原郡弥彦村
大彦の北陸道遠征
大彦~メスリ山古墳: 桜井市
大彦は、綏靖天皇~タケハニヤスの乱4
大国主は、大彦 ~出雲は三島
<卑弥呼>
卑弥呼は名草トベ~和歌山市
卑弥呼は萬幡豊秋津師比売
<ウツシコオ(内色許男命)=大綜麻杵(オオヘソキ)>
ウツシコオは難升米ではなかった?
ウツシコオは魏志倭人伝に登場する難升米
八咫烏の真実~ウツシコオ陰謀の始まり
<饒速日>
饒速日は大阪府茨木市出身
星の降る町~速玉は饒速日
伊都国 一大率は五十猛(饒速日)
孝元天皇は五十猛!~椿井大塚山古墳
五十猛の九州征圧
神功皇后と五十猛
饒速日が死んだ!~ウツシコオの陰謀
孝元天皇と家族たち
饒速日はスサノオの子