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tootake

摂津富田~登美の里

更新日:2月10日

第225話


摂津富田は、JRの駅です。吹田、岸辺、千里丘、茨木、摂津富田(せっつ・とんだ)、高槻この辺りは私の故郷です。ちょうどこの辺りが三島=邪馬台国です。茨木、高槻についてはこのブログで何度か触れています。摂津富田に何か大和朝廷(邪馬台国)の痕跡がないか探してみました。


ありました。JR摂津富田の駅近くに「登美の里」という地区がありました。〒569-0812

登美は長脛彦の関連のある地です。古事記では那賀須泥毘古(長脛彦)は登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ)、登美毘古(とみびこ)とも表記されています。摂津富田の富は

登美です。※長脛彦も大和朝廷(邪馬台国)の一員です。下記参照


出雲王国の王家の子孫と称する斉木雲州氏を始めとする方々の伝承によると、斉木雲州氏の家系は富氏(あるいは向氏)だというのです。そしてその家系から弥生時代中期に分かれ、摂津三島(高槻市やその周辺)の゛登美の里゛に一時居住した後、まずヤマトの葛城地域、さらに三輪山の西側の磯城地域(纏向~三輪あたり)に移住したのが登美氏だと説明されています。そして、この家が磯城県主で、家系には太田田根子や加茂建津之身がいて、後の賀茂(鴨)氏、大三輪氏につながっていくというのです。

東出雲王国の王家だった富氏(あるいは向氏)の末裔の方が書かれた本があるそうです。


そして登美氏(富氏)は多氏(おおし)ではないかと私は考えています。大氏は日本最古の皇別氏族とされています。「太」「大」「意富」「飯富」「於保」とも記され、多氏のうち、畿内の本流一族は大和国十市郡飫富郷に住み、古事記の編者である太安万侶もこの一族です。そして、多氏は神武天皇の子の神八井耳命の後裔とされています。


長脛彦の一族である、三炊屋媛(玉櫛姫)、建甕槌(タケミカヅチ)、ウマシマジもこの摂津富田ので育ったはずです。私は、神八井耳命=長脛彦=三毛入野=大物主と考えています。


このプログでは、長脛彦も大和朝廷(邪馬台国)の一員です。五條市あたりで、饒速日と九州から来た五瀬命(長脛彦)は衝突しします。高千穂  ~三毛入野と五瀬命   

この戦いは丹生都比売が持つ鉱山の権利をめぐるもので、饒速日と五瀬命が競って丹敷戸畔攻めたとのです。この時にうまく立ち回ったのがウズヒコ(鴨王)ことウツシコオです。瀬戸内海を仕切っていたウズヒコは饒速日とも五瀬命とも面識があり同盟を結ばせ共同して丹敷戸畔を降伏させたのです。この時、長脛彦は自分の妹の三炊屋媛(=玉櫛姫)を差し出して和睦し、大和朝廷の一員になったのです。豊受気媛神は三炊屋媛


<関連項目>


※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

 今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。 

※これまでの記事はこちらです。



ウマシマジ(菊池容斎前賢故実』)


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