第225話
摂津富田は、JRの駅です。吹田、岸辺、千里丘、茨木、摂津富田(せっつ・とんだ)、高槻この辺りは私の故郷です。ちょうどこの辺りが三島=邪馬台国です。茨木、高槻についてはこのブログで何度か触れています。摂津富田に何か大和朝廷(邪馬台国)の痕跡がないか探してみました。
ありました。JR摂津富田の駅近くに「登美の里」という地区がありました。〒569-0812
登美は長脛彦の関連のある地です。古事記では那賀須泥毘古(長脛彦)は登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ)、登美毘古(とみびこ)とも表記されています。摂津富田の富は
登美です。※長脛彦も大和朝廷(邪馬台国)の一員です。下記参照
出雲王国の王家の子孫と称する斉木雲州氏を始めとする方々の伝承によると、斉木雲州氏の家系は富氏(あるいは向氏)だというのです。そしてその家系から弥生時代中期に分かれ、摂津三島(高槻市やその周辺)の゛登美の里゛に一時居住した後、まずヤマトの葛城地域、さらに三輪山の西側の磯城地域(纏向~三輪あたり)に移住したのが登美氏だと説明されています。そして、この家が磯城県主で、家系には太田田根子や加茂建津之身がいて、後の賀茂(鴨)氏、大三輪氏につながっていくというのです。
東出雲王国の王家だった富氏(あるいは向氏)の末裔の方が書かれた本があるそうです。
そして登美氏(富氏)は多氏(おおし)ではないかと私は考えています。大氏は日本最古の皇別氏族とされています。「太」「大」「意富」「飯富」「於保」とも記され、多氏のうち、畿内の本流一族は大和国十市郡飫富郷に住み、古事記の編者である太安万侶もこの一族です。そして、多氏は神武天皇の子の神八井耳命の後裔とされています。
このプログでは、長脛彦も大和朝廷(邪馬台国)の一員です。五條市あたりで、饒速日と九州から来た五瀬命(長脛彦)は衝突しします。高千穂 ~三毛入野と五瀬命
この戦いは丹生都比売が持つ鉱山の権利をめぐるもので、饒速日と五瀬命が競って丹敷戸畔攻めたとのです。この時にうまく立ち回ったのがウズヒコ(鴨王)ことウツシコオです。瀬戸内海を仕切っていたウズヒコは饒速日とも五瀬命とも面識があり同盟を結ばせ共同して丹敷戸畔を降伏させたのです。この時、長脛彦は自分の妹の三炊屋媛(=玉櫛姫)を差し出して和睦し、大和朝廷の一員になったのです。豊受気媛神は三炊屋媛
<関連項目>
※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。
※これまでの記事はこちらです。
<大彦>
天香語山命~大彦も五伴緒のメンバー
大彦
大彦は、高倉下~新潟県西蒲原郡弥彦村
大彦の北陸道遠征
大彦~メスリ山古墳: 桜井市
大彦は、綏靖天皇~タケハニヤスの乱4
大国主は、大彦 ~出雲は三島
<卑弥呼>
卑弥呼は名草トベ~和歌山市
卑弥呼は萬幡豊秋津師比売
卑弥呼はイカガシコメ??
<ウツシコオ(内色許男命)=大綜麻杵(オオヘソキ)>
ウツシコオは難升米ではなかった?
八咫烏の真実~ウツシコオ陰謀の始まり
ウツシコオは魏志倭人伝に登場する難升米
<饒速日>
饒速日は大阪府茨木市出身
星の降る町~速玉は饒速日
伊都国 一大率は五十猛(饒速日)
孝元天皇は五十猛!~椿井大塚山古墳
五十猛の九州征圧
神功皇后と五十猛
饒速日が死んだ!~ウツシコオの陰謀
孝元天皇と家族たち
饒速日はスサノオの子
<五十鈴姫=媛蹈鞴五十鈴媛=富登多多良伊須須岐比売命(ホトタタライスズキヒメ>
ミマキ姫は、五十鈴姫~茨木市五十鈴
とよ(五十鈴姫)~桜井、豊中
お多福さんと五十鈴姫
金屋子神は五十鈴姫