第310話
大神神社には、多くの摂社・末社があります。三輪山山頂の奥津磐座から少し離れた小さな池の中に高宮神社(こうのみやじんじゃ)があります。上宮・神宮とも書かれていることから神社と相当に重要な神社と思われます。写真の撮影は禁止されています。
祭神は日向御子神です。
前からの日向御子というのが、誰なのか気になっていました。
高宮は上宮ともされています。上宮とは、天皇(大王)の長男のことです。そして日向は九州ではなく、大阪府守口市の地名であることをこのブログでは明らかにしました。参照:日向は大阪府守口市
この守口市には、他にも大日、八雲という地名があります。大日とは、孝霊天皇の妃の父親の名前;大日彦にゆかりのある名前です。八雲は素戔嗚(スサノオ)がクシナダ姫を娶った場所です。クシナダ姫は市杵島姫命であることはすでに述べました。市杵島姫命の別名は、マシタ姫で、味舌(マシタ)は摂津市の地名で、大日、八雲の対岸です。参照:菊理媛神~大目は大日(守口市) 、櫛名田比売2~八雲は守口市
つまり、日向御子とは、守口市八雲で生まれた素戔嗚(スサノオ)とマシタ姫=市杵島姫命とに間にできた子ということになります。すなわち饒速日です。さらに素戔嗚は孝霊天皇ですから、饒速日=孝元天皇ということになります。日向御子神は饒速日で間違いないとおもいます。素戔嗚(スサノオ)は、孝霊天皇
拝殿の半径200mより内側にある摂社として神坐日向神社(みわにますひむかいじんじゃ)があります。日向がついていることから、大物主の近親者の摂社です。
祭神は櫛御方命、飯肩巣見命・建甕槌命です。これらの3名はいずれ第245話: 豊御気主命は三毛入野! で書いたように神武天皇=三毛入野の家系です。
このブログでは、三毛入野は長脛彦です。
私は、大神神社で祭られている大物主は長脛彦だと思っています。
なお大神神社を建立・設置したのはイカガシコオ(伊香色雄命)です。高宮神社は三輪山の山頂にあり、神坐日向神社は三輪山の麓にあります。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
※これまでの記事はこちらです。
三輪山の高宮神社(こうのみや)と東の奥津磐座
本社近辺
拝殿の半径200mより内側。
活日神社(いくひじんじゃ、北緯34度31分45.72秒 東経135度51分10.29秒)
祭神:高橋活日命
崇神天皇の時代に大神神社の掌酒を務めた名人を祀る。記録に残る日本最初の杜氏であり、酒の神として知られる。
磐座神社(いわくらじんじゃ、北緯34度31分49.22秒 東経135度51分11.27秒)
祭神:少彦名神
三輪山周辺に点在する辺津磐座(神が鎮まる岩)の中心である。
神坐日向神社(みわにますひむかいじんじゃ、北緯34度31分37.08秒 東経135度51分10.28秒)
祭神:櫛御方命・飯肩巣見命・建甕槌命
式内社「神坐日向神社」。
拝殿の半径200mより外側。
別名:若宮社(わかみやしゃ)
祭神:大直禰子・少彦名命・活玉依姫命
三輪明神の神宮寺の一つである大輪寺(おおみわでら)として創建された。鎌倉時代に叡尊が本堂の修復に携わり、それを機に寺名を大御輪寺(だいごりんじ)に改めた。神仏分離と廃仏毀釈によって廃寺とされ、本尊であった現在国宝となっている十一面観音菩薩立像を慶応4年(1868年)5月に現・桜井市の聖林寺に移している[5][6]。同年、昔から十一面観音と共に祀られていた大直禰子を祭神とする若宮社となった。次いで、1877年(明治10年)に大直禰子神社となった。かつての本堂である社殿は入母屋造本瓦葺きの仏堂形式で、数回にわたって大規模改修された末に室町時代に現在の形態になり、内陣の部材には奈良時代のものが含まれることが近年の解体修理に伴う部材調査で判明している[7]。不要となった客殿が安倍文殊院に移築され、現在は奈良県指定有形文化財の本坊になっている。
神御前神社(かみのごぜんじんじゃ、北緯34度32分01.03秒 東経135度50分50.97秒)
祭神:倭迹迹日百襲姫命
綱越神社(つなこしじんじゃ、北緯34度31分40.61秒 東経135度50分35.81秒)
祭神:祓戸大神
式内社「綱越神社」。
檜原神社(ひばらじんじゃ、北緯34度32分18.24秒 東経135度51分16.98秒)
祭神:天照大神若御魂神・伊弉諾尊・伊弉册尊
式内社「巻向坐若御魂神社」。初代元伊勢とされており、崇神天皇の時代、初めて皇祖神(天照大神)を皇宮の外で祀ったのがこの地といわれる。「檜原」は「日原」が変化したもので、江戸時代までは「日原神社」などと表記される場合があった。大神神社にはある拝殿すらなく、三ツ鳥居を通して直接三輪山を拝む(ご神体は山中の磐座である)。嘉禄2年(1226年)の「大三輪鎮座次第」に記載されている社伝に、大神神社について「当社(大神神社)古来宝倉無く、唯三箇鳥居有るのみ。奥津磐座は大物主大神、中津磐座は大己貴神、辺津磐座は少彦名神」とあることから、檜原神社には太古の大神神社の姿が遺されているといえる。なお境内には崇神天皇の皇女で天照大神の祭祀を司った豊鍬入姫命も祀られている。
玉列神社(たまつらじんじゃ、北緯34度31分14.64秒 東経135度52分00.01秒)
祭神:玉列王子神・天照大御神・春日大神
式内社「玉列神社」。椿の木が多く、毎年3月に「椿まつり」が催される。
拝殿の半径200mより内側。
神宝社(かんだからじんじゃ)
祭神:家都御子神、熊野夫須美神、御子速玉神(熊野権現の三神)。毎年元旦未明の繞道祭十八社巡りにおいて三ツ鳥居から出た御神火が最初に捧げられる社。
天皇社(てんのうしゃ)
祭神:御真木入日子印恵命
成願稲荷神社(じょうがんいなりじんじゃ)
祭神:保食神、宇迦御魂神(稲荷大神)、大宮売命。元は浄願寺の鎮守祠。
祓戸神社(はらえどじんじゃ)
祭神:瀬織津姫神、速秋津姫神、気吹戸主神、速佐須良姫神
拝殿の半径200mより外側。
市杵島姫神社(いちきしまひめじんじゃ)
祭神:宗像大神の一柱、市杵島姫命を祀る。
大行事社(だいぎょうじしゃ)
祭神:事代主神、八尋鰐、加屋奈流美神
久延彦神社(くえひこじんじゃ)
祭神:久延毘古命。合格祈願の神社。受験生や就活生の参拝が多く、たくさんのふくろうを模した絵馬が奉納される。
貴船神社(きぶねじんじゃ)
祭神:淤加美神
村屋坐弥冨都比売神社(むらやにますみふつひめじんじゃ)は、奈良県磯城郡田原本町にある神社である。式内大社で、旧社格は県社。大和三道の一つ「中つ道」(橘街道)に面して鎮座している。
三穂津姫命(別名 弥富都比売神)を主祭神とし、大物主命を配祀する。三穂津姫命は大国主命の后神であり、記紀神話では大物主と大国主は同神としている。大物主命は大神神社の祭神であり、その后神を祀る当社はその別宮とされる。
<邪馬台国の新常識>
ウガヤフキアエズのミコト
邪馬台国の誕生
徐福伝説と「呉の勝」
日向は大阪府守口市
櫛名田比売2~八雲は守口市
ウツシコオの名前についての弁明
多氏と長脛彦
饒速日と長脛彦
<河川は古代の高速道路>
市寸島比売は厳島!~広島・三島 )
真舌媛は、宗像三女神!~三島(茨木市)
全ての道は三島に通じる。
<欠史八代の天皇の正体>
素戔嗚(スサノオ)は、孝霊天皇
丹・朱を求めた天皇たち
<大彦>
大国主は、大彦
大彦
大彦は、高倉下~新潟県西蒲原郡弥彦村
大彦の北陸道遠征
大彦~メスリ山古墳: 桜井市
大彦は、綏靖天皇~タケハニヤスの乱4
大国主は、大彦 ~出雲は三島
<卑弥呼>
卑弥呼は名草トベ~和歌山市
卑弥呼は萬幡豊秋津師比売
<ウツシコオ(内色許男命)=大綜麻杵(オオヘソキ)>
ウツシコオは難升米ではなかった?
ウツシコオは魏志倭人伝に登場する難升米
八咫烏の真実~ウツシコオ陰謀の始まり
<饒速日>
饒速日は大阪府茨木市出身
星の降る町~速玉は饒速日
伊都国 一大率は五十猛(饒速日)
孝元天皇は五十猛!~椿井大塚山古墳
五十猛の九州征圧
神功皇后と五十猛
饒速日が死んだ!~ウツシコオの陰謀
孝元天皇と家族たち
饒速日はスサノオの子
<タケハニヤスの乱>
:タケハニヤスの乱1
:タケハニヤスの乱2 ~阿太(奈良県五條市)
:タケハニヤスの乱3 ~小人国
:タケハニヤスの乱4~大彦は、綏靖天皇
:タケハニヤスの乱最終章