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朱智神社~迦邇米雷王

更新日:6月11日

第331話


朱智神社は、京都府京田辺市天王高ケ峰にあります。祭神は、迦邇米雷王(かにめいかずちのみこ)です。迦爾米雷王(かにめいかづちのみこ)は息長氏の祖とされています。


桓武天皇の御代に「建速須佐之男命」を相殿に祀って「大宝天王」と号したと言われ、清和天皇の御代には朱智神社の大宝天王(建速須佐之男命)を京都の八坂神社へ勧請し、かつては毎年「榊遷し」の行事が行われていたと伝えられています。なおこの朱智神社のもよりのバス停は天王です。天王とは素戔嗚(スサノオ)のことです。この辺りの地名は天王なので、この辺り一帯は天王=素戔嗚が支配していたと思われます。


朱智神社の朱は、水銀のことです。天皇一族が朱を求めて各地を巡ったことはすでに書きました。第63話:丹・朱を求めた天皇たち


付近に観音寺があり、その山号は息長山(ちょうそく)です。さらにこの観音寺の南東6キロの所にあるのが椿井大塚山古墳です。私がウツシコオ(内色許男命)の墓としている古墳です。参照:椿井大塚山古墳


朱智神社のある天王高ケ峯をおりると木津川にでます。少し下れば、そこは京都府八幡市でウツシコの本拠である内里です。当時は巨椋池の湖畔でした。内は宇治です。ウツシコオは珍彦(うずひこ)です。迦邇米雷王もウツシコオなのでしょうか。第284話:邪馬台国は巨椋池 第84話:うず彦(椎根津彦)


迦爾米雷王について詳しく見てみますと、この人物は神功皇后の祖父であり、また開化天皇の三代後裔にあたります。古事記によれば、開化天皇 - 日子坐王 - 山代大筒木真若王 - 迦爾米雷王 - 息長宿禰王 - 神功皇后の系譜が見えます。


古事記によると、迦邇米雷王の父は山代之大筒木真若王で、母は伊理泥王の女の丹波能阿治佐波毘売(たにわのあじさわびめ)です。また、彦坐王の孫、すなわち開化天皇の曾孫に当たります。迦邇米雷王は*丹波之遠津臣の女の高材比売(たかきひめ)を妃とし、息長宿禰王(気長宿禰王)を儲けた。息長宿禰王は神功皇后の父である他、2人の王子は近淡海国造・吉備品治国造・*但遅麻国造の祖と伝えられています。


迦爾米雷王の父である山代大筒木真若王、その名から当地付近、山城国(山代)の綴喜郡(筒木)を拠点としていたことが推測されます。また、木津川の対岸の相楽郡に蟹幡郷があったこと、白鳳時代の釈迦如来坐像(国宝)を今に伝える蟹満寺があることなど、近隣に「カニ」に関する地名が多い点から、迦爾米雷王の名も蟹幡郷にちなむものです。


第329話:アメノヒボコはウツシコオ~投馬国 では、記紀はウツシコオの事績を消し去り、アメノヒボコからタジマモリの系図を作り、彦坐王からは息長氏の家系を作り神功皇后に繋げています。と書きました。つまり上記の日子坐王 - 山代大筒木真若王 - 迦爾米雷王 - 息長宿禰王 - 神功皇后の系譜は捏造されたものなです。神功皇后が実在した人物であるかのように見せかけるトリックがここでも使われています。


第329話:アメノヒボコはウツシコオ~投馬国 で書いたように嘘話の作り方が分かってきました。ウツシコオの事績を消し去り架空の人物を創作し、ウツシコの業績を奪い取る手法です。迦邇米雷王が息長氏の祖とされていること、ウツシコオの拠点地の内里や、大隅(おおすみ)隼人の由来となった大住(おおすみ:京都府京田辺市)中世には「隼人荘」と呼ばれていた地域に近いことからもこの蟹幡郷がウツシコオの関連のある場所だと思われます。


そして朱智神社があるあたり一帯は天王です。素戔嗚(スサノオ=天王)の領地であったこの地をウツシコオが譲り受けたのでしょうか。それとも奪い取ったのでしょうか。まだまだ検証が必要です。参照:玉櫛・天王(地名)~茨木市、高槻市


なお、この地が息長氏と関連がある地域であるというのは、でたらめのようです。


江戸時代後期に椿井政隆という人物が数多の寺社のデタラメな由緒を捏造・作成した「椿井文書」の影響を多大に受けており、朱智神社の社伝もこれに基づくもので、迦爾米雷王(かにめいかづちのみこ)は息長氏の祖とされているのも信用できません。



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*丹波、*但遅麻(たじま)国造→参照:投馬国とウツシコオ~丹波(但馬)



※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

※これまでの記事はこちらです。


<目次>



「神功皇后」『慶応頃錦絵帖』一猛斎芳虎


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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
May 27
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