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陰謀を伝える歌は嘘のあかし

更新日:4月18日

第290話


〇多芸志美美命(たぎしみみのみこと)は、その三人の異母兄弟を殺して、皇位を奪おうと陰謀をめぐらせていました。それを知った須気余理比売(いすけよりひめ)は、三人の御子を救いたい思いで、子供たちにその陰謀を伝えるため、次の歌をお詠みになりました。

「狭井河(さゐがは)よ 雲立ち渡り 畝火山(うねびやま) 木の葉騒(さや)ぎぬ 風吹かむとす」  

「畝火山 昼は雲揺(くもと)ゐ 夕されば 風吹かむとそ 木の葉 騒(さや)げる」

その歌を聞き、御子たちは義兄の陰謀に気付き、末っ子の神沼河耳命(かむぬなかわみみのみこと)は、すぐ上の兄の神八井耳命(かむやいみみのみこと)に次のように言いました。

「兄上、あなた様が武器をとり多芸志美美命(たぎしみみのみこと)を殺してください!」


〇日本書紀によると、崇神天皇の時、出雲臣(いずものおみ)の祖、出雲振根(いずものふるね)の出来事があってから、出雲では大神を祀らなくなった。そんな折、丹波国(兵庫県)の氷上(ひかみ)の人、氷香戸辺(ひかとべ)の小児が、自然にこう歌ったという。

「玉菨鎮石(たまものしづし) 出雲人(いづもひとの)祭(いのりまつ)る 真種(またね)の甘美鏡(うましかがみ) 押し羽振る 甘美御神(うましみかみ)、底宝(そこたから)御宝主(みたからぬし) 山河(やまがは)の水泳(みくく)る御魂(みたま) 静挂(しづか)かる甘美御神、底宝御宝主」


「これは子供の言葉のようではありません。あるいは神が取り憑いて言うのかもしれません」と氷香戸辺は皇太子、活目尊(いくめのみこ:のちの垂仁天皇)に報告した。そこで、皇太子は天皇にそのことを奏上し、天皇は勅して鏡を祭らせなさった、という。

参照~第165話:出雲振根(いずもふるね)


※誰かが反乱を起こす計画をすると決まって第三者(子供が多い)が歌を詠み、反乱を未然に防ぐのです。

※これはどういうことかというと、ありもしない作り話に信憑性を持たせるための記紀の作者の小細工です。


※須気余理比売(イスケ依姫)は五十鈴姫のことでの綏靖天皇妃とされていますが、これは甚だ疑問です。五十鈴姫は綏靖天皇妃??

古事記では河俣毘売の系譜を判らなくしていますが、日本書紀では「川派媛(かわまたひめ)は磯城県主の娘」としています。


※出雲振根も出雲にいたとは思えず、反乱をおこしたからこそ出雲と名付けられたのです。

出雲振根も河内(大阪府)の人物だった可能性があります。出雲振根(いずもふるね)


〇そして、タケハニヤスの乱の時はこうです。

同書崇神天皇10年9月27日条によれば、四道将軍の1人の大彦命(武埴安彦の異母兄弟、阿倍臣祖)が北陸への派遣途中で不吉な歌を歌う少女に出会ったため、大彦命は引き返して天皇にこのことを報告します。そして倭迹迹日百襲媛命の占いによって武埴安彦とその妻の吾田媛の謀反が発覚します。


日本書紀歌謡十八番

  みまきいりびこはや     おのがをを    しせむと   ぬすまくしらに    ひめなそびすも

「瀰磨紀異利寐胡播揶 飫迺餓鳥塢 志齊務苔 農殊末句志羅珥 比賣那素寐殊望(御真木入日子はや 己が命を 殺せむと 竊まく知らに 姫遊すも)」


※したがってタケハニヤスの乱が実際に起こった事件であるのかは疑わしいのです。


<参照>

<タケハニヤスの乱>

タケハニヤスの乱2 ~阿太(奈良県五條市)

タケハニヤスの乱4~大彦は、綏靖天皇


※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

※これまでの記事はこちらです。




莵道稚郎子(『前賢故実』より)


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2件のコメント

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
4月23日
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このブログでは、下記のように断定しています。

邪馬台国の新常識


・ミマキイリヒコ  〇ミ・マキ・イリヒコ ×ミマ・キ・イリヒコ

  ミは御です。ミマキイリヒコは御牧入彦 ​学者たちの勘違い

・ミホツヒメ    〇ミ・ホツ・ヒメ  ×ミホ・ツ・ヒメ

  ミホツヒメは御保津姫です。三穂津姫尊(御保津姫)

・出雲について 

  出雲は地名ではありません。反乱を犯したタケハニヤスの根拠地が乙訓郡出雲路であったこと

  から当時の人は反逆者のことを出雲と呼んだのです。

・日向、八雲は守口市

 日向は大阪府守口市櫛名田比売2~八雲は守口市菊理媛神~大目は大日(守口市)

・奈良は茨木市と八幡市 本当の奈良

・孝元天皇は饒速日(ニギハヤヒ)、孝霊天皇は素戔嗚(スサノオ)

 素戔嗚(スサノオ)は、孝霊天皇

・マシタ姫は孝霊天皇の后、父親は大山祇命=大日(記紀では大目)

・ウツシコオの名前・別名がたくさんあるのは、記紀の元資料を書いたのがウツシコオの子のイカガシコオ(伊香色雄命)だと思われます。本来はウツシコオ一人の記録だったのですが、ウツシコオは日本各地で様々な活躍をしていたため、別の人物の記録として書き直したのです。

思兼神、大綜麻杵などのほかにタケツノミ=ヤタガラス、三島の溝杭、事代主もウツシコオの別名だと思われます。

・大彦は大国主、高倉下、天香語山、などの別名があります。

 大国主は、大彦~出雲は三島


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