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武渟川別は味鋤高彦根命!

更新日:3月19日

第214話~葛城は三島


武渟川別(たけぬなかわわけ;建沼河別命)は大彦命の子です。阿倍臣(阿倍氏)の祖で、四道将軍の1人として東海に派遣されたほかには目立った事跡はありません。私は大彦は大国主と思っているので、武渟川別は大国主の子である味鋤高彦根命(アジスキ・タカヒコネ)ではないでしょうか。アジスキ・タカヒコネの母親は多紀理毘売命です。


大国主の妻は多紀理毘売命ですが、沼河比売(ぬなかわひめ)も妻の一人です。大彦の子の建沼河別命とぬなかわがおなじです。沼河比売は建御名方神(たけみなかた)を生んだとされています。建御名方神は三島の溝杭であると書きました。大国主の子とされる事代主も三島の溝杭だと思われています。武渟川別=建御名方神=事代主=アジスキ・タカヒコネである可能性があります。ついでに言うと、神沼河耳命(かみぬなかわ綏靖天皇でこの人物も大彦です。


出雲に味鋤高彦根命関連伝承が集中していますが、これは若年時に出雲にいたことになり、味鋤高彦根命の正体を探るうえで大きな謎でと考えられています。

事代主命・味鋤高彦根命は、記紀では二人ともは大国主命の子とされており,出雲で生誕したことになっています。

大阪市鶴見区放出東にある阿遅速雄神社の社伝では、阿遅鋤高日子根神は当地に降臨されて土地を拓き、民に農耕の業を授けたといいます。出雲の伝承は日本書紀、古事記、出雲風土記が造られたときに、事代主命=味鋤高彦根命が出雲にいたことにしてしまったのです。

大彦がいた時代には、島根県には出雲という地名は存在しません。


また同じく阿遅志貴高日子根命(迦毛之大御神)を祭る奈良県御所市にある高鴨神社の社伝では、葛木は鴨氏一族の発祥の地であり、鴨氏は奈良盆地に出て、葛城川の岸辺に移った一族が鴨都波神社を、東持田に移った一族が葛木御歳神社を祀ったとあります。阿遅鋤高日子(アジスキタカヒコネ)のまたの名を迦毛大神です。迦毛は鴨・賀茂であり、姓氏録に「賀茂朝臣、大神朝臣同祖、大国主神之後也」とあり、古事記で最初から「大御神」と呼ばれているのは、天照大御神と迦毛大御神だけです


ここで注目すべきは岸部という地名です。第196話阿部(安部)氏~岸辺(吹田市) 大彦命の子に、波多武日子命(はたたけひこのみこと)という人がいて、この方が難波吉士(なにわきし)三宅人の祖となっています。そして、日本書紀による阿倍氏(のち安倍氏)は、孝元天皇の皇子大彦命を祖先とする皇別氏族です。この岸部駅付近が阿部氏の発祥の地である言っても差し支えないようです。と書きました。岸部という地名は奈良県にはありません。岸部は三島の地名です。なお奈良県の葛城には、上牧、三宅という地名がこの付近にありますが、これらは元々は三島にあった地名です。疫病のため三島の民は葛城に移ったのでしょう。葛城は三島です。三宅(屯倉みやけ)~三島郡三島町三宅


岸部は阿部氏発祥の地です。冒頭で書いたように武渟川別は阿倍臣(阿倍氏)の祖です。

ここで武渟川別と味鋤高彦根命(アジスキ・タカヒコネ)とが繋がりました。


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Wikipediaでは下照姫(高照姫)の兄弟姉妹として同母:阿遅鉏高日子根神(アジスキタカヒコネ)、異母:事代主神、建沼河男命とあります。古事記では下照姫は大国主神(顕国玉)と多紀理毘売命の娘で、阿遅鉏高日子根神の妹としており、先代旧事本紀・地神本紀でも古事記でも同様に大己貴神(大国主)と田心姫命の娘で、味耜高彦根神(アジスキタカヒコネ)の同母妹としています。この建沼河男命(日本書紀)は武渟川別(古事記)とで事代主=阿遅鉏高日子根神(アジスキタカヒコネ)=武渟川別ということになります。シタテルヒメ - Wikipedia


この事によっても大国主=大彦ということがいえます。





※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

 今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。  

※これまでの記事はこちらです。



武渟川別





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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
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秀丸 遠嶽
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