第404話
大和猛(やまとたける)は、元々は小碓尊(おうすのみこと)という名前でしたが、熊襲建
:クマソタケルを打ち取ったことにより、大和猛の名前を貰ったとされています。
「ヲウス(小碓)」の名称について日本書紀では、双子(大碓命・小碓尊)として生まれた際に、天皇が怪しんで臼(うす)に向かって叫んだことによるとしています。「ヤマトタケル」の名称は、川上梟帥(または熊曾建)の征討時に捧げられたと記されています。
この時、小碓尊(おうすのみこと)は16歳の少年でした。古事記では、少年の髪形としており、青年ではなかったとしています。また、日本書紀では身長一丈(10尺:尺約30cm説で3m、18cm説で1.8m)の巨漢であったと記されています。第401話:犬養氏:スサノオは天手力男神=野見宿禰 で書いたように、ウツシコオ=猿田彦は異国人で体も大きく腕力もあったようです。参照:猿田彦は異国人(あたしくにのひと)
小碓尊は美少女に変装して、熊襲タケルに近づいたと書いてありますが、巨漢の小碓尊がどうして童女となれたかは疑問です。
熊襲建は、川上(かはかみの)梟帥(たける)ともいいます。名は取石鹿文(とろしかや)。取石は大阪府高石市にある地名です。参照:高師小僧~大阪府高石市
また丹波道主命は、勘注系図(海部氏系図)では川上眞稚、亦の名を川上眞若としています。丹波道主命は、ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)です。参照:投馬国とウツシコオ~丹波(但馬)
このことにより、この話は、九州の話ではなく、本当は近畿地方の話ではなかったのでしょうか。というのは、記紀は近畿で起こった出来事を出雲、宮崎、鹿児島にしたがるのです。薩摩隼人も、大隅も京都府大住の話でした。参照:第305話:隼人族は疑似民族集団 、第306話:阿多隼人(薩摩隼人) 、第307話:大隅隼人は京都府京田辺市
ここからは、妄想ですが熊襲タケル=川上梟帥は饒速日(ニギハヤヒ)ではないでしょうか。そして、小碓尊は長脛彦=ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)です。
高石市で神武天皇(イワレ彦)は宇梶兄弟(エウカジ、オトウカジ)と戦っています。エウカシが川上梟帥で神武天皇が小碓尊です。エウカシ=川上梟帥を打ち取った神武(イワレ彦)は川上の名を貰います。
続日本後紀に、川上造吉備成(かわかみのみやつこきびなり)の記事があり、この人物は伊香我色雄(いかがしこおのみこと)の後裔とされています。イカガシコオは、ウツシコオ=大綜麻杵(オオヘソキ)の子とされています。参照:イカガシコオ(伊香色雄命)
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私は、少し前まではこのブログで饒速日(ニギハヤヒ)は孝元天皇でウツシコオであるとしていました。最近も彦はすべてウツシコオなどとしてから、すっかり饒速日の記事が減ってしまっています。が、ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)は、木の国(和歌山県)の名草から、三島にやって来たとしていますが、この三島・高槻辺りには、3つの大きな遺跡が縄文時代からあり、多くの人々が暮らしていたはずです。第309話:邪馬台国は北摂!!
当然、彼らの王もいたはずです。私は、大山祇、大山咋命などとしていました。しかし、素直に考えると、その大王は、饒速日だとするのが妥当でしょう。
ウツシコオは、姉のウツシコメを饒速日の妻としたのです。ウツシコメはミカシキヤ姫です。ミカシキヤ姫は、交野市私市に領地をもらいました。参照:邪馬台国でも水害発生!!
饒速日は川上梟帥だとすればどうでしょう。饒速日と長脛彦の二大巨頭の下で邪馬台国(大和朝廷)はうまくいっているように見えていました。しかし、それでは満足できないウツシコオは饒速日こと川上梟帥を宴会の場で、こっそりと打ち取ったしまったのです。
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<日本書紀より>
川上梟帥、其の童女の容姿(かほよき)に感(め)でて、則ち手を携(たづさ)へて席(しきゐ)を同(とも)にして、坏(さかづき)を挙げて飲(さけの)ましめつつ、戲(たはぶ)れ弄(まさぐ)る。時に、更深(よふ)け、人闌(うすら)ぎぬ。川上梟帥、且(また)被酒(さけにゑ)ひぬ。是に、日本武尊、䄄(みそ)の中の剣を抽(ぬきいだ)して、川上梟帥が胸を刺したまふ。~~略~~~「今より以後(のち)、皇子(みこ)を号(なづ)けたてまつりて日本武皇子(やまとたけるのみこ)と称(まう)すべし」とまうす。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
※これまでの記事はこちらです。
<目次>
乙彦命の子の名前は、四国の阿波国を思わせる阿波夜別命といいます。子供の名が、阿波から別れた命から、親の乙彦命は阿波国に由来があると想像されます。阿波夜別命はその親で揃うことから、別名は大原足尼命と推測可能ですから、大原足尼命の出雲国の大原郡への移動は四国の阿波国からと思われます。また「記紀」では孝霊天皇の子には吉備津彦命や伊予二名島(四国)の王こと彦狭嶋命が挙げられますので、その途中経路は瀬戸内海から吉備経由を想定しました。先程の八岐大蛇伝説も吉備との相関が高いのは再三指摘される通りです。
天吉葛命=ハニヤス
天日鷲、伊勢国、 – 古代史俯瞰 by tokyoblog (tokyox.sakura.ne.jp)
絹巻神社 絹巻神社 | 豊岡市観光公式サイト (toyooka-tourism.com)
豊岡市を南北に流れ日本海に注ぐ円山川の河口にある但馬五社の一つ「絹巻神社(きぬまきじんじゃ)」。第15代天皇の応仁天王3年(西暦272年)に御祭神の一柱、海部直命(あまのあたえのみこと)が自分の始祖「天火明命(あまのほあかりのみこと)」を祀り、清らかな宮「清明宮(すがみや)」としたことが起源とされています。
御祭神:天火明命、海部直命、建田背命(たけだせのみこと)、玉櫛姫命(たまくしひめのみこと)、天衣織女命(あまのえおりめのみこと)、海部姫命(あまのひめのみこと)、海童神(あまのわらしのかみ)、船魂神(ふなだまのかみ)の八柱
出雲大社
(いずもたいしゃ)島根県出雲市
[地図]神代主祭神:大国主大神
単に"大社"と言った場合は出雲大社を指す日吉大社
(ひよしたいしゃ)滋賀県大津市
[地図]BC148年~BC29年位主祭神:西本宮:大己貴神(大国主命) 東本宮:大山咋神石上神宮
(いそのかみじんぐう)奈良県天理市
[地図]BC91年頃主祭神:布都御魂大神
日本書紀にも記述がある日本最古の神社のひとつ宗像大社
(むなかたたいしゃ)福岡県宗像市
[地図]不詳主祭神:田心姫神(沖津宮)
湍津姫神(中津宮)
市杵島姫神(辺津宮)
全国に約7,000社ある宗像神社、厳島神社、および宗像三女神の総本社
「裏伊勢」とも称される
2017年世界遺産に登録。諏訪大社
(すわたいしゃ)長野県諏訪市
長野県茅野市
長野県下諏訪町
[地図](上社本宮)不詳主祭神:建御名方神 八坂刀売神
創建時期は不詳だが神代から存在する
二社四宮(上社/本宮・前宮、下社/秋宮・春宮)がある
全国に約25,000社ある諏訪神社の総本社大神神社
(おおみわじんじゃ)奈良県桜井市
[地図]不詳主祭神:大物主大神
創建は不詳だが有史以前からあり伊勢神宮
(いせじんぐう)三重県伊勢市
[地図](内宮)BC4年
(外宮)478年主祭神:(内宮)天照大御神 (外宮)豊受大御神
単に"神宮"と言った場合は伊勢神宮を指す熱田神宮
(あつたじんぐう)名古屋市熱田区
[地図]113年主祭神:熱田大神下鴨神社
(しもがもじんじゃ)京都市左京区
[地図]前91年?主祭神:玉依姫命 賀茂建角身命彌彦神社
(いやひこじんじゃ)新潟県弥彦村
[地図]不詳主祭神:天香山命
源義経や上杉謙信が訪れたと言われる厳島神社
(いつくしま)広島県廿日市市
[地図]593年主祭神:宗像三女神八坂神社
(やさかじんじゃ)京都市東山区
[地図]656年主祭神:素戔嗚尊 櫛稲田姫命 八柱御子神伏見稲荷大社
(ふしみいなりたいしゃ)京都市伏見区
[地図]708年全国に約30,000社ある稲荷神社の総本社
主祭神:稲荷大神宇佐神宮
(うさじんぐう)大分県宇佐市
[地図]725年全国に約44,000社ある八幡宮の総本社
主祭神:八幡大神 比売大神 神功皇后神田明神
(かんだみょうじん)東京都千代田区
[地図]730年主祭神:大己貴命 少彦名命 平将門命箱根神社
(はこねじんじゃ)神奈川県箱根町
[地図]757年主祭神:瓊瓊杵尊、木花咲耶姫命、彦火火出見尊
神仏習合の聖地として万巻上人が開いたとされる春日大社
(かすがたいしゃ)奈良県奈良市
[地図]768年主祭神:春日神(武甕槌命 経津主命 天児屋根命 比売神の総称)北野天満宮
(きたのてんまんぐう)京都市上京区
[地図]947年主祭神:菅原道真公鶴岡八幡宮
(つるおかはちまんぐう)神奈川県鎌倉市
[地図]1063年主祭神:応神天皇 比売神 神功皇后
倭迹迹日百襲姫命は卑弥呼なのか?(ホツマツタヱ) | 暇なエンジニアのつぶやき (hyperd.net)