第367話
椿大神社(つばきおおかみやしろ)は、三重県鈴鹿市にあります。三重県では伊勢神宮・二見興玉神社に次いで3番目に参拝者数の多い神社です。猿田彦大本宮とも呼ばれ、猿田彦大神を祀る神社の総本社です。
朱について調べてと、何度も「椿」「海石榴ツバキ」の名が現れます。出雲国風土記には「海榴を椿とも書く」と記されています。三輪山の麓で交易拠点として海石榴市ツバイチ、ツバキチが栄えていました。豊後国風土記には大野の郡にも海石榴市があり、景行天皇が海石榴の木を武器にして土蜘蛛を征伐し血田と名付けたとあり、血田は朱産地であったことなどから、ツバキと朱が関連があることは間違いないでしょう。椿大神社も、水銀鉱床のそばにあります。
椿とは、朱のことです。全国で椿の名がついた地名をみるとろ、水銀鉱山の近くや朱産地を思わせる地名(丹生、仁、赤、塩、入、碇、水金、白銀)と近い場所にあることが分かります。運搬のためか海辺や川に近いことも共通しています。
私が、鴨王=ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)の墓と想定している椿井大塚山古墳(京都府木津川市)からは、甕に入った10㎏の水銀朱が出土しています。
山城国相楽郡椿井村にある朱智神社もその名のとおり、朱と関連しています。
第63話:丹・朱を求めた天皇たちでは天皇=大穴持(オオナムチ)だったと書きました。
大穴とは鉱山、大穴持ちは鉱山の採掘権利者のことです。オオナムチ=大国主=ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)です。ウツシコオは猿田彦です。記紀に出てくる彦はすべてウツシコオです。ですから朱(=椿)の権利者は猿田彦なのです。
椿大神社の宮司は山本という名字ですが、猿田彦神社の宮司は宇治土公(うじつちのきみ、後にうじとこと称)という氏姓です。宇治土公は大田命の子孫であるとだけ主張しており、「児島系図」では久斯比賀多命三世孫の久斯気主命を祖としています。倭姫命世記でも「猿田彦神の裔宇治土公氏の祖大田命」大田命の祖として猿田彦命が架上されています。
・太田は呉の勝(スグリ)のゆかりの地です。参照:太田市と遺跡 ~呉の勝
・宇治土公はウツシコオの別名である珍彦(うずひこ)、宇治彦です。
・久斯比賀多命は天日方奇日方命 のことで、やはり。ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)です。参照:天日方奇日方命
・猿田彦も、ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)です。
関連項目:猿田彦は塩土老翁神
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
※これまでの記事はこちらです。
<目次>
「椿図屛風」 鈴木其一二曲一双 紙本金地着色152.0×167.6㎝19世紀・江戸時代フリーア美術館 Freer Gallery of Art, Smithsonian Institution,Washington, D.C.: Purchase―Charles Lang Freer Endowment, F1974.35
もう一つの「哮(いかるが)峯」 - 平斎の日記 (hatenadiary.org)
サナギ(銅鐸)はイザナギ! (hidemaru3375.com)
垂仁天皇はアメノヒボコ=ウツシコオ
妃:綺戸辺(かにはたとべ、弟苅羽田刀弁。山背大国不遅の女)
カニ
久美浜と久御山
<邪馬台国の新常識>
ウガヤフキアエズのミコト
邪馬台国の誕生
徐福伝説と「呉の勝」
日向は大阪府守口市
櫛名田比売2~八雲は守口市
ウツシコオの名前についての弁明
多氏と長脛彦
饒速日と長脛彦
<河川は古代の高速道路>
市寸島比売は厳島!~広島・三島 )
真舌媛は、宗像三女神!~三島(茨木市)
全ての道は三島に通じる。
<欠史八代の天皇の正体>
素戔嗚(スサノオ)は、孝霊天皇
丹・朱を求めた天皇たち
<大彦>
大国主は、大彦
大彦
大彦は、高倉下~新潟県西蒲原郡弥彦村
大彦の北陸道遠征
大彦~メスリ山古墳: 桜井市
大彦は、綏靖天皇~タケハニヤスの乱4
大国主は、大彦 ~出雲は三島
<卑弥呼>
卑弥呼は名草トベ~和歌山市
卑弥呼は萬幡豊秋津師比売
<ウツシコオ(内色許男命)=大綜麻杵(オオヘソキ)>
ウツシコオは難升米ではなかった?
ウツシコオは魏志倭人伝に登場する難升米
八咫烏の真実~ウツシコオ陰謀の始まり
<饒速日>
饒速日は大阪府茨木市出身
星の降る町~速玉は饒速日
伊都国 一大率は五十猛(饒速日)
孝元天皇は五十猛!~椿井大塚山古墳
五十猛の九州征圧
神功皇后と五十猛
饒速日が死んだ!~ウツシコオの陰謀
孝元天皇と家族たち
饒速日はスサノオの子