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神屋楯比売命~大国主の妻

更新日:6月16日

第348話


神屋楯比売命(かむやたてひめ)の夫は大国主神で子は言代主神、祭られている主な神社は美保神社などです。先代旧事本紀では高津姫という名で宗像の辺津宮に坐す神としているので、この伝承によれば多岐都比売命と同一神ということになります。

神屋楯比売命は市杵島姫命はと同一人物です。つまり宗像三女神は市杵島姫命一人ということです。詳しい検証を書くと長くなるので今回は省略すます。なお宗像は摂津(大阪市)の南方(地名:みなみかた)です。第312話:宗像氏はタケミナカタ!


「屋楯」を「矢と盾」と解する説があり、「神屋」を神の籠る屋で「神殿」、「楯」を「立てられたもの」で神殿を守るために立てられた「垣」と解し、名義は「神の籠る家屋の防壁の女性」と考えられています。


高津姫 ~岩船街道 では下記のように書きました。

私は高津姫(コウズ姫)が、大阪府交野市から枚方市にながれる天の川の守り神だと思っています。交野市には郡津(コウズ)という地名があります。天の川のほとりです。その場所が高津(コウズ)姫のゆかりの地ではないかと考えています。天の川のほとりに神屋楯比売命の名前の由来となるような大きな神殿(神宮)があったのかもしれません。遺跡としては、近くに神宮寺遺跡があり、縄文時代の住居跡遺跡で、この遺跡から出土した特徴的な押型文土器は、神宮寺式土器と呼ばれ、近畿地方を中心に各地の遺跡で同様の土器が出土しています。


もう一人市杵島姫命と同一人物と思われるのが神大市比売です。父は大山津見神、夫は須佐之男命(スサノオ:素戔嗚)です。そして、第104話ではウツシコオの妻は、高屋阿波良姫としています。高屋は高野山のことで、高野山では、銅鉱山と水銀が採れるのです。高野山金剛峯寺のすぐ下は金、銀、銅、水銀の宝庫であるということが確認されています。


高屋阿波良姫丹生都比売(にうつひめ)だとすれば、話があってきます。参照:丹生都比売神社  丹生都比売は木花開耶姫(このはなのさくやびめ)です。古事記では、神阿多都比売(かむ・あたつ・ひめ)、日本書紀では本名を神吾田津姫(かみあたつひめ)別名を木花開耶姫(このはなのさくやびめ)


第340話では、卑弥呼は市杵島姫命としましたが、これは間違いでした。卑弥呼は市杵島姫命!!

大山祇(おおやまつみ)と大山咋命(おおやまくい)を同一人物としたことで混乱してしまいました。


大山祇=大日彦で、東奈良遺跡、安満遺跡で銅鐸を製造しレガリアとして政治的にしていたところ、後からやって来た呉の勝=ウガヤフキアエズ=素戔嗚(孝霊天皇)一族がやってきて三島一族と戦い、真舌姫(細姫)=市杵島姫神=神大市比売(大山祇命の娘)を娶ることと銅鐸の製造を止め、銅鏡を製造することを条件に和睦したと第265話大山祇は三島(摂津)の王 で書きました。第48話:太田市と遺跡 ~呉の勝


後からやって来た呉の勝=ウガヤフキアエズ=素戔嗚(孝霊天皇)というのがウツシコオ(内色許男命)です。卑弥呼はウツシコオとともに和歌山市=名草からやって来たウツシコメです。


まとめますと、神屋楯比売命=市杵島姫命=神屋楯比売命=高津姫=神大市比売(スサノオの后)=細姫(真舌姫:孝霊天皇の后)=丹生都比売=木花開耶姫=神阿多都比売=アタ姫(タケハニヤスの后)


大山咋命はウツシコオで亀岡=投馬国を開発したため、市杵島姫命とともに亀岡周辺の神社に祭られたのです。亀岡はかつては湖であり、その湖を干拓したのは周辺の神社の伝承により大国主、大山咋命、月読命、市杵島姫命であったことが分かりますと書きました。参照:丹の湖~亀岡盆地は湖だった!!


神屋楯比売命は大歳御祖神(おおとしみおやのかみ)の神名で祀られることが多くみうけられます。神屋楯比売命は、大歳=饒速日の母親です。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

※これまでの記事はこちらです。


<目次>



宇賀御霊命(うかのみたま)も神屋楯比売命の子です。


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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
Jun 13
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<邪馬台国の新常識>

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邪馬台国の誕生

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ウツシコオの名前についての弁明

多氏と長脛彦

饒速日と長脛彦

<河川は古代の高速道路>

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真舌媛は、宗像三女神!~三島(茨木市)

全ての道は三島に通じる。

<欠史八代の天皇の正体>

素戔嗚(スサノオ)は、孝霊天皇

丹・朱を求めた天皇たち

<大彦>

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大彦

大彦は、高倉下~新潟県西蒲原郡弥彦村

大彦の北陸道遠征

大彦~メスリ山古墳: 桜井市

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大国主は、大彦 ~出雲は三島

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星の降る町~速玉は饒速日

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<タケハニヤスの乱>

タケハニヤスの乱1 

タケハニヤスの乱2 ~阿太(奈良県五條市)

タケハニヤスの乱3 ~小人国

タケハニヤスの乱4~大彦は、綏靖天皇

タケハニヤスの乱最終章

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