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秦氏は神社の創設者

第199話


前回で述べたように、秦氏は山背国愛宕郡(現在の京都市左京区、北区)の鴨川上流域を本拠地とした賀茂氏と関係が深かったとされています。山背国愛宕郡と言えば、このブログでお馴染みの、タケハニヤスが根拠地としていた所です。タケハニヤスが大彦に打ち取られた後に、秦氏の一族が住み着いたのでしょう。タケハニヤスの乱最終章


秦氏は松尾大社、伏見稲荷大社などを氏神として祀り、それらは賀茂氏の創建した賀茂神社とならび、山背国では創建が最古の神社となっており、秦氏の末裔はこれらの社家となったとの説もあります。


松尾大社は京都市西京区嵐山宮町にあり、祭神は、大山咋神と中津島姫命(なかつしまひめのみこと)で 中津島姫命は市杵島姫命の別名です。ちなみに大山祇(大山咋神)と市杵島姫命は親子です。大山祇~邪馬台国異聞8 (hidemaru3375.com)


京都の伏見稲荷大社の主祭神は、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ:倉稲魂命)です。

宇迦之御魂神は古事記では、須佐之男命が櫛名田比売の次に娶った神大市比売との間に生まれたとされており饒速日(大歳)の妹です。邪馬台国前史Ⅴ~伏見稲荷 (hidemaru3375.com)


秦氏が創建に関係した主な神社・寺院は他にもいくつかあります。

八幡神、木嶋坐天照御魂神社(蚕の社)、大酒神社、大避神社、敢国神社、旗宮、天王寺などです。


私の推測では、秦氏が大和朝廷(邪馬台国)に来たと同時期に深刻な疫病が流行り、崇神朝は、三島(茨木)・御牧(枚方・高槻)の地を放棄せざるを得ない事態に落ちいったのです。その時にイガガシコオ御牧入彦(崇神天皇)は秦氏とともに、それまでの銅鐸・銅剣で日本を支配していた体制を改めて、日本各地に神社を設置したのだと思っています。銅鐸の代わるものが社(やしろ)と鳥居なのです。邪馬台国全史Ⅴ~コロナ発生 (hidemaru3375.com)


※これまでの記事はこちらです。

※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。


鳥居は、銅鐸に代わるものとして日本各地に出現したと私は思っています。


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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
Jan 12
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木嶋坐天照御魂神社(蚕の社)

旗宮


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