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箸墓そして土師 ~高槻

更新日:4月26日

第10話


やっと奈良盆地の桜井に移動した崇神朝の最大の事業は、箸墓古墳の建造です。

箸墓のハシは土師(ハシ)のことではないかという説があり、この説の支持者も多いようです。土師とは埴輪をはじめとする土師器製造や古墳築造、およびそれらに関連する業務に従事した一族のことです。野見宿禰の子孫で、古墳時代は、河内,和泉,下野,丹波などに集住し,埴輪,土師器などの生産に従事し,朝廷に貢上しました。

の子孫アメノヒボコ(天日鉾、別名;津怒賀アラシヒト)の子孫とされていますから渡来人であることは間違いはないでしょう。

土師氏(はじし)は古代の氏族で、天穂日命の末裔と伝わる野見宿禰が殉死者の代用品 である埴輪を発明し、第11代天皇である垂仁天皇から「土師職(はじつかさ)」を、曾孫の 身臣は仁徳天皇より改めて土師連姓を与えられたと言われています。古墳を作ったり、葬送の儀式を司っていました。


高槻市に上宮天満宮があります。国鉄(JR)高槻駅に近く、私も子供のころ夜店が出るので、行ったことがあります。境内の野身神社に「式内野身神社并野見宿禰墳」の石柱が立ち、かつて周辺に土師一族が住んでいたされています。ミマキ国が奈良盆地に移動する前のことです。

『和名抄』には摂津国島上郡(ミマキ国)に「濃味郷(のみのごう)」の記載が見え、「のみ」が古い地名であることが示唆されています。天満宮は今で菅原道真の神社になってしまっていますが天神は元々国津神に対する天津神のことであり特定の神の名ではなかったのです。なお菅原氏、秦氏も土師氏の一族です。

奈良県にも「野見宿禰の墓」があります。野見宿禰と当麻蹴速が取り組みをした「相撲発祥の地」とする桜井市の相撲神社には顕彰碑や土俵があります。


土師氏の先祖、野見宿禰は相撲の元祖ですが、相撲はユダヤ人から伝わったという説もあります。

ヘブライ語 :でShemo(シュモー)は相撲(スモウ)

「はっけよい」はヘブライ語 : Hakeh(ハッケ)、Yohy(ヨイ)

ヤコブと天使の相撲がきっかけで「イスラエル」という国の名が作られたのだそうです。


「ハシ」とはペルシャ人のことと国語辞典にも載っています。

タケハニヤス、ハニヤス彦、のハニも埴輪(ハニワ)に関連のある名前で、土師氏との関連が推測されます。


関連項目:高槻と邪馬台国


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

※これまでの記事はこちらです。


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tootake
10 Eki 2023
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