第323話
箸墓古墳は、宮内庁により大市墓(おおいちのはか)として第7代孝霊天皇皇女の倭迹迹日百襲姫命の墓に治定(じじょう)されていると書いてあります。箸墓古墳 - Wikipedia
◎私の頭の中では市(イチ)はマシタ姫です。
・市杵島姫命(イチキシマ姫;宗像三女神)は素戔嗚の娘です。
・素戔嗚は大山祇命の娘の神大市比売(カムオオ”イチ”ヒメ)を娶ったと古事記に書いてあります。素戔嗚(スサノオ)は、孝霊天皇です。
・日本書紀の一書で孝霊天皇の皇后は春日千乳早山香媛、第2の一書では十市県主等の祖である真舌媛(ましたひめ)」としています。
・十市御縣坐神社(とおちのみあがたにますじんじゃ)は、奈良県橿原市にある神社です。
主祭神は豊受大神、配祀は市杵島姫命です。社伝では「孝霊天皇記に見える十市県主の祖の大目を祭神とする。大目の娘である細媛命は孝霊天皇皇后である」と書かれています。
第115話~真舌媛は神大市比売で菊理媛神:菊理媛神~大目は大日(守口市) では、十市(イチ)県主は、もとは春日県主で春日は茨木市(三島)です。味舌も三島です。市(イチ)杵島姫神=真舌姫だとすると、イチというのは真下姫のことかもしれません。と書いています。
上記により、マシタ姫(細媛命=真舌媛)は市杵島姫命であり、神大市比売であることが分かります。
それだけではありません。マシタ姫は重要な人物です。
◎マシタ姫は淀川の守り神です。カモ族は水運によって国(邪馬台国)を維持・管理してきました。水運の要は淀川・河内湖です。そして孝霊天皇の*黒田宮に行くには奈良盆地湖を利用してと思われます。奈良に湖 もう一つの古代高速道路か
*黒田宮(皇居)は、日本書紀・古事記とも黒田廬戸宮(くろだのいおどのみや)。
宮の伝説地は『和名類聚抄』の大和国城下郡黒田郷と見られ、現在の奈良県磯城郡田原本町黒田周辺と伝承され、奈良盆地湖の湖畔と思われます。
更には、瀬戸内海、朝鮮、大陸(中国)との交易でも水運は重要でした。そうした理由からマシタ姫(市)は、交通安全を守る女神として尊敬され、市杵島姫命(宗像三女神)になったのです。
◎マシタ姫(市)は鉄の神でもあります。
大山祇は息長氏 では、天之御影神は孝安・孝霊天皇の頃、加羅から鉱山技術を持って苅田(十市=三島)にやって来たものと考えられます。その後、近江に渡り、腰を落ち着けますが、この天之御影神と十市県主大目(息長氏)の娘である細媛命です。と書きました。
マシタ姫は実は五十鈴姫なのかもしれません。五十鈴姫は鉄の神
以上のことから私はマシタ姫(市)は大市であり、箸墓(大市の墓)はマシタ姫の墓ではないかと思ったのです。
とすると箸墓が奈良県にあることが問題となります。私はヤマト(邪馬台国)は三島だと言い続けてきたからです。ヤマト(邪馬台国)が奈良県に移転するのは、疫病の大流行の後です。
ヤマト(邪馬台国)が奈良県に移転するのは、BC270年前後だと思っています。
マシタ姫=市杵島姫命が計算しやすいように仮にBC200年に生まれたとします。
・BC240年に魏の使者が邪馬台国に来ます。この時の天皇は孝元天皇(饒速日)で実権を握っていたのは、孝元天皇の后であるウツシコメ=卑弥呼です。孝元天皇(饒速日)は前年に亡くなっています。
・BC266年にコロナ流行し、邪馬台国は奈良盆地に移転します。卑弥呼もこの頃に亡くなったと思われます。
・BC247年(正始8年)、邪馬台国が狗奴国との紛争を魏に訴えるために魏に赴く。
卑弥呼死去49歳
・BC270年 マシタ姫死去70歳 箸墓建設開始とするとマシタ姫を箸墓古墳の主とするのはあり得ない話でありません。
※マシタ姫が卑弥呼であった可能性も十分にあります。
関連項目:市寸島比売は厳島!~広島・三島 )
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<参考資料>
箸墓古墳は方形墳丘の部分が拡大した定型的な前方後円墳となっており、築造時期は3世紀後半以降と考えるのが一般的であるとされてきました。
魏志倭人伝では牛馬がいなかったと記述されていますが、周壕からは馬具(木製の輪鐙)が出土しています。参照:第220話:四條畷と馬匹文化
桜井市教育委員会が2000年(平成12年)に実施した纒向遺跡第109次発掘調査で、周濠内の覆土(植物層)上層から木製の輪鐙(馬具)が発見されています。同時に出土した布留Ⅰ式土器により4世紀初頭頃のものとされ、これにより列島内への騎馬文化の流入および東アジアにおける騎馬文化の伝播の理解が従来よりも古く修正されることになりました。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
※これまでの記事はこちらです。
<目次>
箸墓古墳(大市の墓)
<邪馬台国の新常識>
ウガヤフキアエズのミコト
邪馬台国の誕生
徐福伝説と「呉の勝」
日向は大阪府守口市
櫛名田比売2~八雲は守口市
ウツシコオの名前についての弁明
多氏と長脛彦
饒速日と長脛彦
<河川は古代の高速道路>
市寸島比売は厳島!~広島・三島 )
真舌媛は、宗像三女神!~三島(茨木市)
全ての道は三島に通じる。
<欠史八代の天皇の正体>
素戔嗚(スサノオ)は、孝霊天皇
丹・朱を求めた天皇たち
<大彦>
大国主は、大彦
大彦
大彦は、高倉下~新潟県西蒲原郡弥彦村
大彦の北陸道遠征
大彦~メスリ山古墳: 桜井市
大彦は、綏靖天皇~タケハニヤスの乱4
大国主は、大彦 ~出雲は三島
<卑弥呼>
卑弥呼は名草トベ~和歌山市
卑弥呼は萬幡豊秋津師比売
<ウツシコオ(内色許男命)=大綜麻杵(オオヘソキ)>
ウツシコオは難升米ではなかった?
ウツシコオは魏志倭人伝に登場する難升米
八咫烏の真実~ウツシコオ陰謀の始まり
<饒速日>
饒速日は大阪府茨木市出身
星の降る町~速玉は饒速日
伊都国 一大率は五十猛(饒速日)
孝元天皇は五十猛!~椿井大塚山古墳
五十猛の九州征圧
神功皇后と五十猛
饒速日が死んだ!~ウツシコオの陰謀
孝元天皇と家族たち
饒速日はスサノオの子
<タケハニヤスの乱>
:タケハニヤスの乱1
:タケハニヤスの乱2 ~阿太(奈良県五條市)
:タケハニヤスの乱3 ~小人国
:タケハニヤスの乱4~大彦は、綏靖天皇
:タケハニヤスの乱最終章