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素盞鳴尊神社(天王社)~沢良宜

更新日:1月29日

第186話


阪急電車の南茨木駅の近くに小さな社があります。素盞鳴尊(すさのおのみこと)神社です。〒567-0868大阪府茨木市沢良宜西、付近の人からは天王社と呼ばれています。天王とは素戔嗚のことでこの辺りは天王と呼ばれる地です。〒567-0876大阪府茨木市天王


そして沢良宜とは、サワラ(銅器)ギ(邑)となることから、この一帯が銅製品の加工と関係が深かった場所でした。この地にある 東奈良遺跡には、二重の環濠の内部に高床倉庫など大型建物や多数の住居があり、外部には広大な墓域もありました。発見された工房跡から、銅鐸の鋳型が35点も出土しており、ほかにも銅戈勾玉などの鋳型が発掘されており、東奈良遺跡の鋳型で生産された銅鐸が、近畿一円から四国でも発見されています。

ここは最大級の銅鐸や銅製品の工房遺跡で、当時の日本の数多くの「クニ」の中でも、各地に銅鐸を配布することができるほど政治的に重要な位置を占めていたことが分かります。


茨木市の隣の高槻市に安満遺跡があります。発掘調査から、集落跡が広範囲に広がっていることから、比較的大きい規模の集落がこの地に拓けていたことが判明しています。多量の弥生時代の石器や土器が出土し、これらの出土品から弥生文化が北部九州から畿内へ流入したと初めて指摘された点で学史上著名な遺跡です。この安満遺跡の近くにも沢良宜〒569-0084と天王〒 569-0088という地区があります。


茨木市の沢良宜の付近は、佐和良義神社があり、迦具土神がまつられています。カグは銅の古語です。迦具土(カグツチ)は、イザナギ、イザナミとの間に生まれた子です。

この天王社(素盞鳴尊神社)は、素戔嗚の生誕地ではないでしょうか。素戔嗚の父は伊邪那岐命(イザナギノミコト)、母は伊邪那美命(イザナミノミコト)です。


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<蛇足>

私は、茨木市の天王、沢良宜の側で生まれ、高槻市の天王、沢良宜にある高槻中・高校に通っていました。三宅(屯倉みやけ)~三島郡三島町三宅


※これまでの記事はこちらです。

※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。




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