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聖徳太子伝説~堀江と茨田堤

更新日:8月17日

第344話~神八井耳命は聖徳太子


大阪の人でも、堀江が古代に掘られた運河であることを知らないようです。学者も詳しいことは知らないようです。それくらい古い土木作業事業だったのです。


初めて掘江が書物に現れるのは、日本書紀・仁徳11年です。「高津宮の北の郊原を掘て、南の水を引きて西の海に入る。因て其の水を号(な)づけて堀江(ホリエ)と曰ふ」とあります。



第342話:聖徳太子は菟道稚郎子としました。菟道稚郎子は、ミマキイリヒコ(御牧入彦)ではないかというのが私の推測です。


そして古代に行われた土木作業事業として茨田堤 があります。

「又秦人(はたひと)をえたちて茨田堤及(また)茨田三宅を作り、又丸

邇池(わにのいけ)・依網池(よさみのいけ)を作り、難波の堀江を掘りて海に通し、又小椅江(をばしのえ)を掘り、又墨江の津を定めたまひき」と日本書紀にあり、渡来氏族である秦氏や茨田氏の技術によるものであることが、現在の寝屋川市の「秦町」・「川勝町」・「太秦町」などの地名によっても伝えられています。寝屋川市は枚方市(御牧国=邪馬台国)の隣です。


堀江のそう遠くないところに四天王寺があります。聖徳太子が建てたされる寺です。

またこの辺りは大阪府大阪市天王寺区上之宮町です。上宮とは、皇太子のことで聖徳太子を指します。


聖徳太子には、徳豊聡耳法大王、上宮太子聖徳皇、厩戸豊聰耳聖などの別名があります。

そして聖徳太子には八人が同時に話すことを理解したという伝説があります

豊と耳(ミミ)に反応した人が豊=たくさん(人くらい)、(聞く力)と思いついて作った話でしょう。と思っていましたが、茨田堤を作ったとされているのは、彦八井耳命です。茨田堤の痕跡は、河内平野北部を流れる古川沿いに現存しています。 京阪電車の大和田駅の東北にある堤根神社(つつみねじんじゃ)は、茨田堤の鎮守として創建されたものです。本殿の裏には、茨田堤の跡と推定される堤防の一部が現存しています。堤根神社の祭神は彦八井耳命です。新撰姓氏録では茨田連条には、彦八井耳命を神八井耳命の子とする説が記載されています。


命は、菟道稚郎子=御牧入彦(崇神天皇)=聖徳太子です。

井耳命とは、人が同時に話すことを理解したという聖徳太子の伝説と合致します。


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<蛇足の追記>

欽明13年に、仏像を以て難波堀江に流棄すと記されています。堀江には和光寺(通称:阿弥陀が池:あみだ池)があり、この辺りから阿弥陀仏を見つけたのが、本田善光です。


この池から救い出された阿弥陀如来は信濃国伊那郡の若麻績里(長野県飯田市の元善光寺)に祀ったが、皇極天皇元年(624年)に現在の善光寺のある長野市元善町に移したとされています。

信濃善光寺本尊は欽明天皇13年(552年)、百済国より仏教伝来とともに伝わった日本最古の仏像とされています。仏教伝来以降、崇仏・廃仏の論争が続く中、廃仏派の物部氏により難波の堀江に棄てられたのです。このあと文献上で聖徳太子が登場します。



※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

※これまでの記事はこちらです。


<目次>




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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
Jun 09
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