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藤森神社と志賀海神社

更新日:8月19日

第413話~神社と馬


前回の記事を書くにあたって、淀川周辺の神社を調べていて、大阪府摂津市鳥飼西に藤森神社が有るのを見つけました。


藤森神社と言えば、京都市伏見区にある有名ですが、こちら(摂津市鳥飼)にある藤森神社は競馬の神様なのです。「馬券があまりにも当たらず回収率が60%になってしまったので思い立って参拝に。参拝で惨敗になりませんように。騎手の方が書かれた絵馬もあって御利益がありそうな予感がします。」とマップの書き込みにあります。


伏見区の藤森神社でも、5月5日に駈馬神事が行われおり、馬と武運の神社として信仰を集め、馬と勝負事の神社として知られ、競馬関係者・ファンの信仰を集めており、競走馬の絵馬が多数奉納されています。


どうして藤森神社が競馬と関係しているのでしょう。ネットで「勝ち馬 神社」で検索してみると意外な神社が引っ掛かりました。第364話:君が代(1)~志賀海神社で書いた福岡県福岡市東区志賀島にある志賀海神社です。


志賀海神社の社伝では、志賀島の北側、勝馬浜において表津宮(うわつぐう)・仲津宮(なかつぐう)・沖津宮(おきつぐう)の3宮から成っていたが、阿曇磯良(あずみのいそら:阿曇氏祖)により、そのうち表津宮が志賀島南側に遷座して現境内となったというとあります。この勝馬浜から競馬が連想されたのでしょう。


勝馬浜は現在、下馬ヶ浜海水浴場(げばがはま)になっています。〒811-0325 福岡県福岡


志賀海神社の祭神は、神功皇后、応神天皇と三筒男といつものセットですが三筒男がここでは、綿津見(ワタツミ)になっています。仲津綿津見神、底津綿津見神、表津綿津見神

中殿相殿:玉依姫命(たまよりひめのみこと)

京都藤森神社の祭神は、素盞嗚命、別雷命、日本武命、応神天皇、神功皇后、武内宿禰、仁徳天皇です。神宮皇后以外はすべてウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王です。


志賀海神社の境内には鹿角堂(ろっかくどう)があり、1万本以上ともいわれる多くの鹿の角が奉納されています。また「亀石(かめいし)」として、神功皇后による三韓征伐の際、阿曇磯良が亀に乗って皇后らの前に現れたという伝承に因んで後世奉納された霊石があります。鹿、角(つの)、亀はウツシコ(スサノオ)のキーワードです。志賀島の島名でもある志賀:しかも鹿でしょうか。参照:第388話:スサノオのキーワードは角と竹と、、


神功皇后、応神天皇と三筒男といつものセットが祭られている神社は、創建が藤原不比等以降に建てられた神社です。志賀海神社は元々はワタツミ=海神族=安曇族の神社で、神功皇后、応神天皇と三筒男は、後から付けたされたものです。


三筒男はもともと一人でウツシコオ=ウズヒコ=シイツネヒコ・サオツネヒコ、塩土老翁(シオツチオジ)です。


宗像三女神も元々は市杵島姫命(=卑弥呼)一人です。宗像三女神を祭っている神社は市杵島姫命一人を祭っている神社よりも年代が下る神社です。なぜなら、三女神、三筒男を創作したのは、藤原不比等だからです。(詳細は後述予定)


宗像系の神社は日本で5番目に多いとされ、そのほとんどが大和及び伊勢、志摩から熊野灘、瀬戸内海を通って大陸へ行く経路に沿った所にあります。宗像は南方(大阪市淀川区)が転じたものです。参照:第312話:宗像氏はタケミナカタ!


古代、神様は神馬(しんめ)という馬に乗って人間世界にやってくると考えられていて、神事においては生きた馬を献上していたそうです。ちなみに白馬が重宝されています。


また本物の馬の代わりに、土で作った馬形(うまがた)や、木で作った板立馬(いただてうま)を奉納する簡略化バージョンも古くからあり、絵に描いた馬も奉納されました。これが「絵馬」の始まりです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

※これまでの記事はこちらです。


<目次>






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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
Aug 20
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郡遺跡・倍賀遺跡

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
Aug 17
Rated 5 out of 5 stars.

不比等という名前についても、壬申の乱の後、天智天皇系の皇子ということで田辺史大隅(たなべ の ふひと おおすみ[注釈 4])の家にしばらく匿われていた[6]ことと関連する説がある。

もっとも、藤原(中臣)鎌足は大化の改新以来、日本の外交責任者の地位にあり、当時外交使節として活躍していたのが僧侶と史(フミヒト:書記官)及び彼らが持っていた漢文や儒教・仏教の知識であったことから、自分の長男(定恵)を僧侶として、次男(不比等)を史として育てて、将来的に自分の役割を補佐・継承させる意図が存在していたとして、皇胤説に否定的な見方もある[7]。また、後年の『大宝律令』の編纂には不比等だけでなく、田辺史(氏)[8]に属する2名(百枝首名)が関わっていたことが知られているが、これが不比等の推挙であると同時に田辺大隅ら田辺史の一族が法律知識を有して不比等に知識を授けた可能性を示している[3]

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
Aug 17
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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
Aug 17
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<これまでウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王であることが判明した人物>


第374話:牛鹿臣はウツシコオ!   第371話:彦狭島命~吉備児島

第372話:建日方別:彦狭嶋命  第369話:神武西征~健磐龍命

第365話:君が代(2):君はウツシコオ   第363話:彦はすべて、ウツシコオ

第324話:武内宿禰はウツシコオ!!  第325話:天之日矛はウツシコオ

第326話:大日彦(オホヒヒ彦)~守口  第327話:于道朱君の衝撃~新羅

第328話:沙至比跪(サチヒコ)  第329話:アメノヒボコはウツシコオ

第330話:投馬国とウツシコオ~丹波(但馬)  第331話:朱智神社~迦邇米雷王

第333話: 牛頭天王(スサノオ)はアメノヒボコ第298話:蛭子(ひるこ)もウツシコオ

第380話:猿田彦は異国人     第401話:犬養氏:スサノオは天手力男神=野見宿禰

第335話: 天道根命は道祖神=ウツシコオ 第334話: 大彦は、五十猛! 

第336話:大屋彦~根の国は和歌山  第337話:阿多賀田須命~宗像氏

第338話:月読命(ツクヨミ)      第349話:天児屋命はウツシコオ!!

第357話:武甕槌神(タケミカヅチ)考    第317話:ひょっとこ:火男~天之御影命

第318話:空海のルーツは内色許男命!   第319話:和知津美命はワタツミ!!

第320話:欠史八代はヤマト=三島    第230話:三嶋溝抗命たち(複数)

第231話:神八井耳命は三毛入野    第232話:内色許男命は武埴安彦命!

第274話:八咫烏もウツシコオ   第275話:事代主もウツシコオ?

第279話:開化天皇          第280話:建角身命もウツシコオ

第263話:中臣氏~中臣烏賊津      第256話:ウガヤフキアエズのミコト

第244話:大津神社と建南方富命  第245話:豊御気主命は三毛入野!

第246話:高御産巣日神(高木神)  第247話:今迦毛大御神と天若日子

第249話:物言えぬ皇子~阿遅須枳高日子  第251話:猿田彦は塩土老翁神

第252話:迦毛大御神は崇神天皇!  第253話:キサガイヒメはウツシコオの母!

第354話:伊勢津彦はタケミナカタ =ウツシコオ 第254話:興玉命も内色許男命

第361話:宇都志国玉神と宇都志日金拆命  第394話:天御鳥命(武夷鳥命)は火の鳥

第395話:天日鷲命は、、、  第397話:獲加多支鹵大王(ワカタケル) =雄略天

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