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蘇我馬子はウマシマジ??

更新日:7月18日

第382話


前回、日本書記に出てくる男性は上古の時代に限って言えば、基本的にすべてウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王で女性はすべてウツシコメ(卑弥呼)であるという観点に立って記紀を読み返すとかなりすっきりした風景が見えてきます。と書きましたが、ナガスネヒコの妹と饒速日との間にできたとされるウマシマジについては、ウツシコオと同一人物とするには、違和感があります。ウマシマジは、母の兄であるナガスネヒコを殺したとされています。なぜ叔父を殺したのか、小説家ならずともウマシマジの行動には、様々な想像を掻き立てられてしまいます。


ウマシマジのモデルとなった人物は誰なのでしょうか。


兵庫県相生市小河には宇麻志神社(うましじんじゃ)という神社があり、今の祭神は宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこじのかみ:ウマシマジのことと思われます)ですが、明治維新以前は「馬子宮」と呼ばれなんと蘇我馬子を祀っていたとされています。


600年の遣隋使は、「此れ太だ義理なし」として煬帝から諭され、また服制の不備などもあり失敗に終わったようです。参照:第350話:遣隋使とウツシコオ

この失敗は倭国側に大きなカルチャーショックを与えたと見られ、遣隋使の帰国直後から様々な改革が行われています。この当時の大王は推古天皇ではなく、馬子だったはずです。参照:第347話:推古天皇は架空の天皇~交野市私市

私は、第350話:遣隋使とウツシコオで恥をかいた日本は、遣隋使(けんずいし)の失敗を誰かのせいにしたかったに違いありません。そこでかつて中国大陸(魏)に行ったことのあるウツシコオのせいにしたかったのではないでしょうか。と書きました。


しかし、恥をかいた馬子は、遣隋使(けんずいし)の失敗を誰かのせいにまどせず、国内の改革に取り組んだはずです。その証拠ととて第3回の遣隋使では、「皇帝、倭皇に問う。使人の長吏大礼蘇因高らが訪れて、よく意を伝えてくれた。朕は、天命を受けて、天下を統治し、みずからの徳をひろめて、すべてのものに及ぼしたいと思っている。人びとを愛育したいというこころに、遠い近いの区別はない。倭皇は海のかなたにいて、よく人民を治め、国内は安楽で、風俗はおだやかだということを知った。こころばえを至誠に、遠く朝献してきたねんごろなこころを、朕はうれしく思う。時節は漸く暖かで朕は無事である。鴻臚寺の掌客裴世清らを遣わして送使の意をのべ、併せて別にあるような贈り物をお届けする。」という言葉をもらっています。


626年(推古天皇34年)馬子は死去し、乙巳の変:645年(皇極天皇4年)が起こります。

馬子の編纂した「天皇記」「国記」「臣連伴造国造百八十部并公民等本記」はすべて廃棄されてしまいます。この時に、ヤマト(邪馬台国)の歴史のすべてが葬り去られたのです。なお日本書紀を編纂したとされる藤原不比等はまだ生まれていません。不比等が歴史書の重要性に気付いた時には、重要な資料は残っていませんでした。数代前の記憶と魏志倭人伝をもとに日本書紀が書き始められます。681年に日本書紀が書き始められます完成までに約40年かかりました。


この時、本当の古代日本の歴史は、完全に嘘の話になってしまったのです。古事記・日本書紀の登場人物で信用できるのは、内色許男命(ウツシコオ大綜麻杵=思金大神=タカミムスビノカミ(高皇産霊神:高木神)の事績だけです。


そして大王(オオキミ)であった馬子とその事績もすべて頬むりさられてしまいます。

馬子の業績は大きく日本書紀では馬子をウマシマジとして登場させウマシ神社に密かに祭ることにしたのは、流石に後ろめたいものを感じたからではないでしょうか。

馬子のウマからの連想でウマシマジなる人物を創作したと思われます。


*蘇我氏は武内宿祢の子孫とされています。武内宿祢はウツシコオです。

参照:第324話:武内宿禰はウツシコオ!!


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

※これまでの記事はこちらです。


<目次>







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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
Jul 18
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一書曰、古国稚地稚之時、譬猶浮膏而漂蕩。于時、国中生物。狀如葦牙之抽出也。因此有化生之神。號可美葦牙彦舅尊。次国常立尊。次国狹槌尊。葉木国、此云播舉矩爾。可美、此云于麻時。

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
Jul 17
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