第281話
前号で上賀茂神社の祭神はタケツノミ(賀茂建角身命)の孫である賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)であると書きました。
第227話では、天日方奇日方命(あめひがた・くし・ひがたのみこと)は旧事本紀では、事代主神の子。母は活玉依媛。と書きました。玉依姫 (hidemaru3375.com)
玉依日売は、山城国風土記では丹塗矢に化身した火雷命(ほのいかづちのみこと)を床の近くに置いていたところ、可茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)を懐妊し出産したとされています。つまり、天日方奇日方命は建甕槌だということです。天日方奇日方命
ということは、賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)は建甕槌(タケミカヅチ)で間違いないでしょう。イカヅチはミカズチの語呂合わせです。
事代主が三島の溝杭で、タケツノミ(賀茂建角身命)であることは、一般的に知られています。私はさらに事代主はウツシコオであると思っています。事代主もウツシコオ?
室町時代の賀茂之本地では賀茂別雷命はアジスキタカヒコネ(阿遅鉏高日子根神)と同一視されています。だとすると賀茂建角身命→玉依日売→賀茂別雷命=阿遅鉏高日子根神となり、事代主→玉櫛姫→建甕槌=阿遅鉏高日子根神です。
内色許男命(ウツシコオ)は高木神(高御産巣日神:タカミムスビ)です。崇神天皇(ミ・マキ・入彦)はタカミムスビ=ウツシコオの孫です。天孫降臨とはウツシコオの孫である崇神天皇(ミ・マキ・入彦)が大王(天皇)に即位したということです。
天孫降臨の話では、孝元天皇=饒速日の子である大彦=大国主の子とは一切触れられていません。国譲りの物語として片付けられてしまったのです。国譲り再考
※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。
※これまでの記事はこちらです。
邪馬台国 家系図
賀茂一族系図(三輪高宮家系譜)
建速素盞嗚命─大国主命─都美波八重事代主命─天事代主籖入彦命─奇日方天日方命多い。大国主命と都美波八重事代主命が共に大物主の別名を持っている。
三世孫天日方奇日方命、四世孫健飯勝命、五代孫健甕尻命(=タケミカヅチ)、六世孫豊御毛主命、七世孫大御気主命、八世孫阿田賀田須命 和邇君等祖 云々。十一世孫大鴨積命、磯城瑞籬宮(祟神朝)御世賜加茂君姓。次、大友主命同朝御世賜大神姓。
天日方奇日方命(妹姫踏鞴五十鈴媛命[母勢夜陀多良比売。神武后]、妹五十鈴依媛命[綏靖后]、弟天八現津彦命)─ 健飯勝命(妹淳名底仲媛命[安寧后])─ 健甕尻命─ 豊御気主命─ 大御気主命(弟 健飯賀田須命)… 胸形徳善─ 宗形赤胡(妹尼子娘)
古事記
大物主神は陶津耳命の娘・活玉依毘売と結婚して、櫛御方命(=天日方奇日方)をもうけられた。 この櫛御方命の子が飯肩巣見命。、その子が建甕槌命(鹿島神宮祭神の建甕槌命とは別神)。 その子が意富多多泥古、『日本書紀』では大田田根子である。
地球幾何学5~下賀茂神社 (hidemaru3375.com)
<大彦>
天香語山命~大彦も五伴緒のメンバー
大彦
大彦は、高倉下~新潟県西蒲原郡弥彦村
大彦の北陸道遠征
大彦~メスリ山古墳: 桜井市
大彦は、綏靖天皇~タケハニヤスの乱4
大国主は、大彦 ~出雲は三島
<卑弥呼>
卑弥呼は名草トベ~和歌山市
卑弥呼は萬幡豊秋津師比売
卑弥呼はイカガシコメ??
<ウツシコオ(内色許男命)=大綜麻杵(オオヘソキ)>
ウツシコオは難升米ではなかった?
八咫烏の真実~ウツシコオ陰謀の始まり
ウツシコオは魏志倭人伝に登場する難升米
<饒速日>
饒速日は大阪府茨木市出身
星の降る町~速玉は饒速日
伊都国 一大率は五十猛(饒速日)
孝元天皇は五十猛!~椿井大塚山古墳
五十猛の九州征圧
神功皇后と五十猛
饒速日が死んだ!~ウツシコオの陰謀
孝元天皇と家族たち
饒速日はスサノオの子
<五十鈴姫=媛蹈鞴五十鈴媛=富登多多良伊須須岐比売命(ホトタタライスズキヒメ>
ミマキ姫は、五十鈴姫~茨木市五十鈴
とよ(五十鈴姫)~桜井、豊中
お多福さんと五十鈴姫
金屋子神は五十鈴姫