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tootake

賀茂別雷命は建甕槌

更新日:4月8日

第281話


前号で上賀茂神社の祭神はタケツノミ(賀茂建角身命)の孫である賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)であると書きました。


第227話では、天日方奇日方命(あめひがた・くし・ひがたのみこと)は旧事本紀では、事代主神の子。母は活玉依媛。と書きました。玉依姫 (hidemaru3375.com)

玉依日売は、山城国風土記では丹塗矢に化身した火雷命(ほのいかづちのみこと)を床の近くに置いていたところ、可茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)を懐妊し出産したとされています。つまり、天日方奇日方命は建甕槌だということです。天日方奇日方命


ということは、賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)は建甕槌(タケミカヅチ)で間違いないでしょう。イカヅチはミカズチの語呂合わせです。


事代主が三島の溝杭で、タケツノミ(賀茂建角身命)であることは、一般的に知られています。私はさらに事代主はウツシコオであると思っています。事代主もウツシコオ?


室町時代の賀茂之本地では賀茂別雷命はアジスキタカヒコネ(阿遅鉏高日子根神)と同一視されています。だとすると賀茂建角身命→玉依日売→賀茂別雷命=阿遅鉏高日子根神となり、事代主→玉櫛姫→建甕槌=阿遅鉏高日子根神です。


前号でも賀茂別雷命がアジスキタカヒコネ(阿遅鉏高日子根神)だとするとミマキイリヒコということになります。と書きました。


内色許男命(ウツシコオ)は高木神(高御産巣日神:タカミムスビ)です。崇神天皇(ミ・マキ・入彦)はタカミムスビ=ウツシコオの孫です。天孫降臨とはウツシコオの孫である崇神天皇(ミ・マキ・入彦)が大王(天皇)に即位したということです。


天孫降臨の話では、孝元天皇=饒速日の子である大彦=大国主の子とは一切触れられていません。国譲りの物語として片付けられてしまったのです。国譲り再考


※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

 今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。 

※これまでの記事はこちらです。




賀茂一族系図(三輪高宮家系譜)

建速素盞嗚命─大国主命─都美波八重事代主命─天事代主籖入彦命─奇日方天日方命多い。大国主命と都美波八重事代主命が共に大物主の別名を持っている。


三世孫天日方奇日方命、四世孫健飯勝命、五代孫健甕尻命(=タケミカヅチ)、六世孫豊御毛主命、七世孫大御気主命、八世孫阿田賀田須命 和邇君等祖 云々。十一世孫大鴨積命、磯城瑞籬宮(祟神朝)御世賜加茂君姓。次、大友主命同朝御世賜大神姓。


天日方奇日方命(妹姫踏鞴五十鈴媛命[母勢夜陀多良比売。神武后]、妹五十鈴依媛命[綏靖后]、弟天八現津彦命)─ 健飯勝命(妹淳名底仲媛命[安寧后])─ 健甕尻命─ 豊御気主命─ 大御気主命(弟 健飯賀田須命)… 胸形徳善─ 宗形赤胡(妹尼子娘)


古事記

大物主神は陶津耳命の娘・活玉依毘売と結婚して、櫛御方命(=天日方奇日方)をもうけられた。 この櫛御方命の子が飯肩巣見命。、その子が建甕槌命(鹿島神宮祭神の建甕槌命とは別神)。 その子が意富多多泥古、『日本書紀』では大田田根子である。



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