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迦毛大御神は崇神天皇!

更新日:3月24日

第252話~阿遅志貴高日子根神はミマキイリヒコ


第247話では下記のように書きました。

大国主神の系譜にアジスキタカヒコネ(以下:高日子根)は「今迦毛大御神(いま・かものおおみかみ)と謂ふぞ」とあります。大御神とは最高神という意味です。古事記の「大御神」は高日子根の他に天照大御神と伊耶那岐命(いざなぎ)の二神だけです。 「迦毛」は地名で、奈良県御所市鴨神を指します。迦毛は鴨、加茂、賀茂(カモ)です。ということは迦毛大御神はカモの神ということです。迦毛大御神はカモの神(鴨王)ということです。鴨王はウツシコオでした。そして現在(当時)の鴨王という意味で今鴨王=今迦毛大御神です。今迦毛大御神と天若日子


高日子根がどうして最高神の大御神と呼ばれるようなったのか更に考えて見ました。

この時代の迦毛大御神つまりカモ族の最高神といえば、天皇クラスでしょう。今迦毛大御神の今は今上つまり今上天皇=当時の天皇という意味です。

といえば真っ先に思い浮かぶのはミマキイリヒコ(御牧入彦)=崇神天皇です。


高日子根の父は大国主つまり大彦、母は多紀理毘売命(タキリビメ)です。

そしてミマキイリヒコの父は開化天皇、母はご存じ伊加賀小学校のイカガシコメです。


私はすでに第90話で開化天皇は大彦としています。天忍穂耳命(開化天皇)は大彦??

そしてイカガシコメ(伊香色謎命)でその父親は大綜麻杵命(つまりウツシコオ)です。

多紀理毘売命(タキリビメ)は御保津姫(ミホツ姫)でこの姫も大国主の妻とされています。三穂津姫尊(御保津姫)古事記の国譲りで次のような場面があります。

高皇産霊尊(ウツシコオ)は大物主神(この場合は大国主=大彦)に「もし国神を娶れば、お前には謀反の心があると思ってしまう。だから、私の娘の三穂津姫(みほつひめ:御保津姫)をお前の妻とさせたい。


イカガシコメは多紀理毘売命と同一人物だということです。イカガは枚方市の地名の伊加賀〒573-0062です。ウツシコオ、ウツシコメというのも男山市内里の内です。シコオ、シコメというのはその人物を住んでいる場所を示しているだけで本名ではありません。


なお崇神天皇の后は御間城姫(ミマキ姫)で父は大彦です。ということはミマキイリヒコとミマキ姫ともに大彦の子となってしまいますが、私は第129話でミマキイリヒコは菟道稚郎子(うじのわきいらつこ) としています。

菟道稚郎子は、ミマキイリヒコ(御牧入彦)ではないかというのが私の推測です。

入り彦の「入り」は、入り婿のことで、大彦にウツシコオがむりやりに入り婿にしたのです。


第247話:今迦毛大御神と天若日子 ではこう書きました。

古事記では、高天原に反逆した天若日子の弔問に高日子根は訪れますが、天若日子の父や妻に天若日子と間違われ、阿遅志貴高日子根神(迦毛大御神)が喪屋を切り伏せるという神話が記されており、通説ではその天若日子の喪は再生・復活の儀式とされています。つまり、高天原の反逆者の再生・復活を意味するものであるため、再生の可能性を完全に断ち切ることで処罰を完結させたと捉え、「大御神」という最上位の待遇で称されるということです。


天若日子が反乱を起こしたタケハニヤスだとすると、天若日子は建御雷神(タケミカヅチ)です。崇神天皇は軍を派遣しタケハニヤス討ち取った後、喪屋を切り伏せるというのは第143話の出雲の誕生~邪馬台国全史4 御牧入彦が銅鐸を真っ二つに切りつけるシーンを彷彿させます。



※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

 今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。 

※これまでの記事はこちらです。



   崇神天皇


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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
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