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tootake

邪馬台国前史8~手研耳と神八井

更新日:4月9日

第124話   BC230年


手研耳(タギシミミ)と神八井(かんやいみみ)が、突然、蜂起した。

手研耳は神武天皇の最初の妻はアタ姫の子で、神八井耳は、媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめ)の子とされていますが、これは虚構でしょう。この小説では、神武天皇は饒速日(大歳)で、神八井もアヒラ姫(ハニヤス姫)の子としています。奈良県五條市原町に阿陀比賣神社があります。


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阿陀比賣神社のホームページより引用

八咫烏の案内により吉野河の河尻に至った時、筌(魚を閉じ込めて捕らえる籠状の漁具)で魚を取る人がいた。イワレヒコは「お前は誰だ」と問うと、「私は国津神で、名は贄持之子(ニヘモツノコ)と申します」と答えた。これは阿陀の鵜養の祖である。(古事記)

「阿陀の鵜養の祖」とされています。鵜飼は南方系の人々によって行われた漁法と言われており、紀ノ川水系で行われた鵜飼は南九州を本拠とした阿多隼人によってもたらされたことが推測されます。


私のプログ「久米歌の謎解き」でもこのことを紹介しています。

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手研耳は、父親である大歳が自分たちの母のアヒラ姫を差し置いて、渚姫を正妃にした事に反発したと思われます。それに佐斯久斯和可比売(さしくしわかひめ)との間にできた子の大彦ばかり可愛がっているのも気にいらない。次期天皇の座も危ういのではないかと思い始めていた。


手研耳は、泉州(大阪府南部)を拠点にしている。大軍を率いて葛城邑にある水銀鉱山を占拠した。元々この地は、手研耳の母アヒラ姫の里(アタ)である。今は大歳が自分のものにしていまっている。


大歳の軍は高倉山の国見丘に兵を配置した。この時、丘の上には八十梟帥(やそたける)軍が構えており、磐余邑(いわれのむら)には兄磯城(えしき)の軍が満ち溢れていた。手研耳たちは、街道をすべて要塞化しており、通れるところがなくなっていた。八十梟帥とはたくさんの兵士の意味です。

 

大歳は大彦に偵察を命じた。大彦は軽兵を率いて、菟田の高倉山に登ると義兄の軍が充満しているのが見えた。もう一人の義兄の神八井耳も陣を敷いている。大歳は事態の重大さが分かった。大歳はを手研耳に、大彦(タカクラジ)とその弟(オトクラジ)を八咫烏(高日子根:大彦の子)を使者として二人の息子の元へ向かわせた。兵を動かした真意を問うためである。


八咫烏は「天の御子が来ている。そなたはお仕えするか」と鳴いた。手研耳しかしエウカシは矢を射て八咫烏を追い払った。一方、神八井耳は恭順の意を示した。そのうえで「兄のエシキは兵を集め、迎えうとうとしています。お気をつけなさいませ」と進言したという。

「先手を打って手研耳を討たねばなるまいな・・・」大歳は総攻撃の命を出そうとした。

「むやみに攻め込んでいってはこちらも痛手を受ける恐れがあります。」

そう進言したのは、椎根津彦(サオネツヒコ=彦幸)だった。

「兵を半分に分けて、忍坂(男坂)に男軍から出て攻撃をかけるのです。もう半分の兵(女軍)を、敵の背後に回り込みます。そして奇襲で、手研耳を挟み撃ちにするのです」

大歳は群を2つにわけ女軍、男軍とした。女坂に女軍、男坂に男軍、墨坂に(それぞれ現在の大宇陀町上宮奥付近、半坂付近、宇陀市榛原区西方の坂と言われています)


この策が成功し、手研耳の軍勢は壊滅し、手研耳も殺された。神八井耳は、大歳にしたがった褒美として山代国の愛宕郡(おたぎぐん)を貰った。


今回の話は兄磯城を手研耳命、弟磯城を神八井耳命に書き換えただけの話です。


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<登場紹介> 

椎根津彦サオネツヒコ=彦幸=ウツシコオ=彦幸)30歳、

・アタ姫~記紀には、神武天皇の最初の妻はアヒラ姫と書かれています。日向のアタ出身の阿比良比売と書かれているため、神武東征の根拠ともされていましたが、上垣内先生は、きっぱりとアタは、九州のアタではなく五條市のアタと言い切っておられます。日向のアタは後付けです。

・大彦(大国主)34歳、粟鹿神社の書物『粟鹿大明神元記』では大国主の母は佐斯久斯和可比売(さしくしわかひめ)と記述されています。

「刺国」は「標」を刺すことで、領有を表し、「若」は父の「大」に対する娘の意で、「国を占有する子の巫女」  国を占有しているのは、饒速日(五十猛)とその父の素戔嗚です。

・八咫烏=武角身命(賀茂建角身)=味鋤高彦根命(アジスキ・タカヒコネ)は事代主のとされていますが、武角身命も大国主(大彦)の子です。事代主の母は、古事記では神屋楯比売命、先代旧事本紀では高津比売命とあります。大国主は多岐都比古命とも呼ばれています。

・オトクラジは高倉下の弟で、すなわち長脛彦の妹のミカシキ姫の子です。

 高倉下の弟ということは、大彦の弟です。大彦の弟には少彦男心命がいます。

 一方、少彦名(スクナヒコ)が出雲(実はヤマト)の国造りで登場しており、神産巣日神(カミムスヒ=饒速日)の命によって義兄弟の関係となって国造りに参加したとされています。少彦名は孝元天皇(饒速日)の次男です。

少彦名とは大国主がオオナムチ=大穴持ち=大名持ちに対比した名前で少名持ちから派生した名前です。大国主(大彦)義兄弟と言えば、ウマシマジです。

ウマシマジは、スクナヒコ(少彦名)でオトクラジで間違いないと思います。


ところで、高倉下、高津姫、高照姫=大国主神と多紀理毘売命の娘で、阿遅金且高日子根神(アヂスキタカヒコネ)の妹など大阪府交野市に住んでいたと思われる人物には「高」がついています。「高」は交野市のことでしょうか。そういえば高天原と思われる天原町も交野市です。〒576-0034大阪府交野市天野が原町



今回は、以前書いた:八咫烏の活躍 (hidemaru3375.com)とは設定が少し異なっています。あくまで小説ですのでより自由な発想で邪馬台国を考えていきたいと思っています。

 



※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。 

※これまでの記事はこちらです。




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2 Comments

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tootake
Oct 19, 2023
Rated 5 out of 5 stars.

発見!! 邪馬台国~枚方市禁野 (hidemaru3375.com)


五十鈴姫は二人  ミホツ姫と大彦(開化)の子

イニエは、開化の子? 入り婿

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tootake
Oct 18, 2023
Rated 5 out of 5 stars.
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