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tootake

邪馬台国前史Ⅸ~禁野・中宮・ヤマト

更新日:4月21日

第125話



BC221年 渚姫は、完成した禁野の山戸町(ヤマト町)に移り住んだ。


禁野(きんや)は「しののめ」と読むのだと思います。茨木市にも東雲(しののめ)という地名があります。白肩津(枚方)の枕詞としても使われていたようです。

古事記には「經 浪速之渡 而。泊 青雲之 白肩津」と書いてあります。

※東雲は青雲と同義としています。禁野は標野(しめの)ともされています。


禁野には、三本足の雉が住んでいたという伝説が残っています。三本足は八咫烏を連想してしまいます。戦国期にはあの山之内一豊が初めて貰った領地がここ禁野です。明治期は天才軍師の大村益次郎が崖の上で天然の要塞ともいうべきこの地を火薬工場にしました。枚方は台地で淀川からみると平たい崖になっているのです。アイヌ語でピラカタとは崖の上という意味です。     


禁野の禁は禁中(宮中に同じ)天皇家に関連がある土地であること間違いありません。

禁野本町遺跡(きんやほんまちいせき)

この辺りの気になる地名としては、都が丘、宮之阪、山戸(やまと:〒573-0011)があります。

この辺りは中宮とも呼ばれています。宮の付く地名など日本中に何百個所もありますが中宮は「ちゅうぐう」と読めます。少し歴史に詳しい方ならご存じでしょうが「中宮」とは、妃(皇后)が住む場所のことです。


近くにある日置天神社(枚方市招堤南町2丁目)日置山遺跡も気になる存在です。祭神は天之御中主神(あまのみなかぬしのかみ)と菅原道真で第115話「真舌媛は神大市比売で菊理媛神」で書いた飛来神社( ひらいじんじゃ:大阪府守口市)と全く同じです。「天之御中主神」とは天地初発の時最初に高天原に出現された神です。天之御中主神を祀る神社は皆無と言ってよいくらい(下記)ですが、ここにもありました。私は天之御中主神は素戔嗚のことだと思います。


天之御中主神は、天地開闢の時に高天原に、最初に現れた神です。高天原は大和朝廷(邪馬台国)そのものです。スサノオがその基礎を作ったのです。そして、神産巣日神(カミムスヒ=饒速日)と高御産巣日神(タカミムスヒ=内色許男命(ウツシコオ)が大和(邪馬台国)を発展させたのです。


日置山遺跡は、古墳時代から中世までの複合遺跡で、周辺には未発掘の日置千軒と伝えられる繁栄の跡が眠っているものと思われます。


崇神天皇朝に発生したとされる疫病(コロナか?)によってこの地は捨て去られ人々の記憶から、かつてここに宮があったことは忘れ去られてしまったというのが私の考えです。


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日置天神社境内とその周辺は日置山遺跡です。天之御中主神を祭る天神社には、妙見社系、水天宮系と、近代創建の大教院教派神道系の3系統がありますが、水天宮は、元々は天之御中主神とは無関係だったものが、幕末維新の前後に、新たに主祭神として追加されたものです。妙見社系は、隕石の関係のある星田の妙見さん(小松神社)以外は時代が下るものです。



※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

※これまでの記事はこちらです。



枚方市中宮山戸





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tootake
Oct 20, 2023
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tootake
Oct 19, 2023
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