第211話~クンピーラと蛇
四国の金刀比羅宮の由緒についてはいくつかの説がありますが、大物主命が象頭山に行宮を営んだ跡を祭った琴平神社から始まり、中世以降に本地垂迹説により仏教の金毘羅と習合して金毘羅大権現と称したとされています。
全国に、金刀比羅神社はいくつかあり、祭神は大物主です。大国主を祭神とする金刀比羅神社もありますが、これは大物主を大国主と混同したためです。
近畿では、金刀比羅神社 (京丹後市)(京都府京丹後市)金刀比羅神社 (和歌山県白浜町)大歳金刀比羅神社(兵庫県多可郡多可町中区)
四国では、金刀比羅神社(徳島県徳島市勢見町)、金刀比羅神社 (徳島市川内町) 、金刀比羅神社 (鳴門市)(徳島県鳴門市)、金刀比羅神社 (徳島県阿南市)、金刀比羅宮(香川県仲多度郡琴平町)、金刀比羅宮(愛媛県松山市衣山四丁目)、金刀比羅宮松山分社(愛媛県松山市)、平木金刀比羅宮(香川県木田郡三木町平木)
大物主は前号で述べたように長脛彦です。四国に金刀比羅神社が多いのは、長脛彦の支配地だったからでしょう。徳島県阿南市水井町には昭和30年まで稼働していた水井水銀鉱山があった場所は、かつては阿波の那賀郡(なか)と呼ばれていました。和歌山にもかつて那賀郡がありました。その地も長脛彦の支配地でした。長脛彦のナカは那賀郡のナガです。他の地域にも金刀比羅宮はありますが、祭神は大国主に代わってしまっています。
金毘羅とは、インドのヒンドウー教のガンジス川の神クンピーラのことです。ガンジス川に棲むワニを神格した神です。このワニが日本に来て蛇になりました。
大物主の正体は蛇といわれています。倭迹迹日百襲姫(やまとととびももそひめ)の伝説では、夜になると、大物主大神は姫のもとへ通っていました。大物主大神が訪れるのは夜だけです。不満を感じた姫が「あなたの顔をお昼に見たいわ。」と、お願いをすると「分かった。昼は姫の櫛箱の中にいるけど、箱を見ても決して驚かないように」と答えます。
翌朝、不思議に思いつつ櫛箱を開けると、そこに小蛇が入っていました。驚いた姫は、つい悲鳴を上げてしまいます。大物主大神は蛇から男性の姿になり「驚くなと言ったのに、恥をかかせて!あなたとはもう会えません。」と三輪山に帰ってしまいました。
悲しんだ姫は腰をおとし、箸で女陰を突いて命を落としました。そのため倭迹迹日百襲姫の墓を箸墓と呼ぶとされています。
倭迹迹日百襲姫命を祭る香川県東さぬき市の水主(みぬし)神社の近くにも丹生という地名があり、水銀との関連のあった地だと思われます。大物主との上記の伝説も丸っきり根拠の無いものではないようです。
奈良県の大神神社(おおみわ)では、今でも三輪の蛇は大物主大神の化身とされ、白蛇が棲むことから名付けられたご神木には、蛇の好物の卵が参拝者によってお供えされています。
素戔嗚が退治した八岐大蛇(ヤマタノオロチ)は、ガンジス川のクンピーラだったのです。
※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。
※これまでの記事はこちらです。
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